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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

池原芳英さん製作比謝橋の模型
 さる11月26日 木曜日 嘉手納町と読谷村の間にかかる比謝橋の模型を見に行きました。

  知人で建築家の池原芳英さんが制作し寄贈したものです。

 これまでに見つかった 戦前 戦後の写真を 見ながら 色々工夫し、 正確な橋の模型を作ったとのことです。

 比謝橋の碑のところにあります。

 ガラスにおおわれたかなりしっかりしたものです。

CIMG5008.jpg CIMG5007.jpg CIMG5009.jpg CIMG5010.jpg

  送られてきた 資料をここに転載いたします。 なお 資料中の写真は省略いたします。


 写真( 1)( 省略)戦前の比謝橋(5 連続アーチ橋)である。南側の第1アーチから 第3 第4 アーチまでは大型のアーチで、読谷側の第5アーチは小型である。
 明治時代に橋を積み上げて県道をつくったとき、北側より南側を高くしたが、 現在の嘉手納側におかれている模型は平坦であり、南側の第1アーチがつくられていない。南(嘉手納側)と北(読谷側)を逆に設置されている。
  私は公文書館、 知人、 友人から写真を集めて、自分の記憶を元に できるだけ正確な模型を作りたいと考えた。

  写真(2)(省略) 米軍による沖縄上陸前の昭和20年2月28日の空中写真である。 昭和18年頃車を通すためアマカービラを埋め立てて橋の南側を改修した。

写真(3)(省略)比謝矼北側を米軍のGMCトラックがさしかかった時の写真である。GMCの幅を2.5mと考え、写真を拡大コピーしたら 道路幅が6mとなった。

 写真(4)(省略) 1945年 に嘉手納からとった鉄橋3,石橋1の写真である。左側は石橋である。

 写真(5)(省略) 写真(4)の 1945年8月18日の空中写真である。第3と第4アーチの幅が6mとすると5mと読み取れる。

  写真(6)( 省略) 1951年 読谷高校 嘉手納学友会の3年生の女子生徒の皆さんが、比謝川の干潮の時に、第3 第4アーチh前での集合写真である。第3 第4 アーチの幅は 5m、満潮時水位から道路面前では4mである。模型を作るとき 満潮時 水を基準にした。

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