母が家を建て替えるので、その間読谷村の僕の家に同居しています。
88歳になる母は、他はいいのですが足がだいぶ弱っていて、亀のようにゆっくりゆっくり歩きます。
色々な面で意欲はまだまだあり、色んな所に行きたがります。
でも、足がついていけないので、残波岬に行っても、少し歩いて結局 Uターンして帰ってきました。座喜味城址でもそうでした。
それで車椅子があればいいのに、と思ったのです。
介護保険で、市町村から車椅子を借りることもできると聞きました。
母の住民票は那覇市にあります。那覇市から車椅子を借りることができるようにということで、ちゃーがんじゅう課の窓口を訪ねました。
すると介護認定が必要で、そのためには医者の意見書が必要だとのことでした。
それで、母が通っていたかず整形外科に行き、意見書をお願いしたところ、快く引き受けてくれました。
それで、再び那覇市ちゃーがんじゅう課に行き、手続きをしました。
後日、かず整形外科外科から連絡があったので、11月16日に整形外科に出かけ出かけ、問診を受けました。母はちゃんと答えていました。
11月30日の午前、那覇市の要介護認定の調査員がいらして母の状況を調査しました。
1月2日、兄の住まいで行われる新年会で行くと、那覇市から通知が届いています。
開けると、要支援2の評価がついています。ただ、それだけでは、車椅子を借りることができるかどうか分かりません。
仕事始めの1月4日、車椅子借用について那覇市地域包括支援センター繁多川に電話をしました。
そこで、いろいろ調べてくれて、読谷村社会協議会で、車いすを貸してくれるように紹介してもらいました。
それで、すぐに読谷村社会福祉協議会に行きました。話をするとすぐに分かってくれて、借用書を書いただけで、車椅子を借りてくることができました。

1月10日火曜日、母仲松江美をざわわ接骨院に送迎しました。その帰りに、車いすもあるのだからと、読谷村楚辺の「艦砲ぬ喰ぇーぬくさーあの碑」見学してくる。車いすがあると便利です。

さらに、1月16日も、 読谷ざわわ接骨院で、母を迎え、そして読谷村残波岬に行きました。そして、車椅子で残波岬の灯台のところまで行き、ゆっくり楽しむことができました。

車椅子を積極的に利用して、母をあちこち案内したいです。
88歳になる母は、他はいいのですが足がだいぶ弱っていて、亀のようにゆっくりゆっくり歩きます。
色々な面で意欲はまだまだあり、色んな所に行きたがります。
でも、足がついていけないので、残波岬に行っても、少し歩いて結局 Uターンして帰ってきました。座喜味城址でもそうでした。
それで車椅子があればいいのに、と思ったのです。
介護保険で、市町村から車椅子を借りることもできると聞きました。
母の住民票は那覇市にあります。那覇市から車椅子を借りることができるようにということで、ちゃーがんじゅう課の窓口を訪ねました。
すると介護認定が必要で、そのためには医者の意見書が必要だとのことでした。
それで、母が通っていたかず整形外科に行き、意見書をお願いしたところ、快く引き受けてくれました。
それで、再び那覇市ちゃーがんじゅう課に行き、手続きをしました。
後日、かず整形外科外科から連絡があったので、11月16日に整形外科に出かけ出かけ、問診を受けました。母はちゃんと答えていました。
11月30日の午前、那覇市の要介護認定の調査員がいらして母の状況を調査しました。
1月2日、兄の住まいで行われる新年会で行くと、那覇市から通知が届いています。
開けると、要支援2の評価がついています。ただ、それだけでは、車椅子を借りることができるかどうか分かりません。
仕事始めの1月4日、車椅子借用について那覇市地域包括支援センター繁多川に電話をしました。
そこで、いろいろ調べてくれて、読谷村社会協議会で、車いすを貸してくれるように紹介してもらいました。
それで、すぐに読谷村社会福祉協議会に行きました。話をするとすぐに分かってくれて、借用書を書いただけで、車椅子を借りてくることができました。

1月10日火曜日、母仲松江美をざわわ接骨院に送迎しました。その帰りに、車いすもあるのだからと、読谷村楚辺の「艦砲ぬ喰ぇーぬくさーあの碑」見学してくる。車いすがあると便利です。

さらに、1月16日も、 読谷ざわわ接骨院で、母を迎え、そして読谷村残波岬に行きました。そして、車椅子で残波岬の灯台のところまで行き、ゆっくり楽しむことができました。

車椅子を積極的に利用して、母をあちこち案内したいです。
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