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初代行政主席比嘉秀平の銅像
 初代琉球政府行政主席の比嘉秀平氏の銅像を見てきました。
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 比嘉秀平さんは 読谷村大木の生まれです。
 太平洋戦争(沖縄戦)の後、沖縄はアメリカ施政権のもとにおかれます。そ球琉球政府の初代の行政主席が比嘉秀平さんです。

 比嘉秀平氏のことを僕は読谷に来るまで全く知りませんでした。
 舅の曽根信一に教えてもらいました。

 子どもの頃にサトウキビ絞りに右手を挟まれて失ったこと。
 早稲田大学の英文科に進み英語が得意だったこと。
 そのためにアメリカ政府との交渉もよくできたので行政主席になったとのこと。などなど。

 英語力だけではなかったのでしょうが、あの時代ですから、大きな力になったのでしょう。

 琉球政府の最後の行政主席は読谷村瀬名波の屋良朝苗さんですね。

 アメリカ施政権下の琉球政府で、初代と最後の行政主席が読谷から出ているのですね。

 屋良さんのことは子どもたちもよく知っていますが、比嘉秀平さんのことは、読谷に住む多くの人も知らないのではないでしょうか。

 銅像は大木公民館のすぐ後ろにあります。

 僕は35年ほど前に、読谷に住むようになってすぐに舅の曽根信一に連れられて、それを見ました。

 母は比嘉秀平さんのことをよく知っていました。それで、ぜひ銅像を見たいとのことだったので、連れて行きました。

 35年前に見た時にはまわりには建物がほとんど全くなかったのですが、今はすぐ近くにアパートも立っています。


 友人のHiroくんが、フェイスブックにコメントしてくれました。

以前先輩から聞いた話なんだけど
比嘉秀平は 非常に優秀な人だったけど校長先生になれなかった
片腕 で御真影を 持つことが許されなかった
興味深いでしょ


 興味深い話ですね。戦前の日本ならありそうです。




  そこに書かれていた「比嘉秀平顕彰の記」と「略歴」を書き写しました。間違いがあるかもしれませんが、ご了承ください。



比嘉秀平顕彰の記
先生の御生前の御偉
業を偲び御功績を讃
え心熱き教育者政治
家比嘉秀平良生の御
遺徳を限りなく慕う
ため時の流れに刻み
附設に心ゆるぎなき
殊に創り磨き称慕と
感謝とふせつの悠久
をここに顕彰する
昭和五十六年八月十八日
字大木比嘉秀平先生
銅像建立委員会


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略歴

初代行政主席比嘉秀平先生御※?厂
明治34年6月7日
  読谷村字大木で御出生
明治41年4月・大正3年3月
  読谷読谷村古堅尋常高等小学校
大正3年4月・大正8年3月
  沖縄県立第2中学校
大正9年4月・大正14年3月
  早稲田大学英文学部
大正14年4月・昭和3年3月
  和歌山県高野山中学校教諭
昭和3年4月・昭和14年3月
  沖縄県立第二中学校教諭
昭和14年4月・昭和20年7月
  沖縄県立第三中学校教諭
昭和20年9月・昭和21年3月
  沖縄沖縄諮詢委員会翻譯部長
昭和31年4月昭和25年3月
  沖縄民政府渉外部長
昭和25年4月昭和25年5月
  臨時琉球諮詢委員会委員
昭和26年4月・昭和27年3月
  琉球臨時中央政府行政主席
昭和27年4月・昭和31年10月
  琉球政府初代行政主席
昭和31年10月25日
  主席在任中急逝


 ※ 「?厂」は「略歴」かな
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次は大木公民館の地図です。そのすぐ裏にあります。
大木公民館の地図
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