その時に、行動分析学でよく使われるフェイドアウトという方法を意識的に取り入れてみました。
書き方の練習は次のようになっています。わかりやすくするためにカタカナの「カ」です。

一つ一つ説明します。
1番目は薄く書かれた「カ」の文字に書き順の番号を添えてあります。これは書き方の練習書にはよくありますね。

それを参考にしながら、なぞって書くようにします。
2番目の枠は、薄く書かれた「カ」の文字だけです。書き順の番号はなくなっています。1番目の書き順番号が添えられた字はすぐにみることができます。

3番目。点だけが並んでいます。
書くときの始点と終点、そして角の点、始点終点の中間点が打たれているのです。
それを参考にして、文字を書くようにします。

4番目
真ん中の点がなくなりました。始点と終点そして角の点だけです。

5番目
終点もなくしました。あるのは始点と角の点だけです。

6番目からあとは、点がありません。手がかりはありません。前でやったのを見ながら練習します。
このように徐々にヒント、手がかりを少なくしています
レコーディングで、音量を徐々に絞りながら曲を終了することを音楽用語でフェイドアウトと言います。
行動分析学では、新しい行動を作るときに、最初は手を添えたり、ヒントを出したりという援助を行いますが、それを徐々に取り除いて、援助がなくても自分でできるようにする方法をフェイドアウトと言います。
自転車乗りの練習で、最初はお父さんが後ろで支えながら自転車に乗りますが、そのうちに支えをなくしていきますね。あれです。
それを漢字の練習に意識的に取り入れてみたのです。
書店で漢字の練習の本をいくつも見たのですが、このようにフェイドアウトを用いたの ありませんね。
僕が知る限りぼくのが最初です。
「はねありフ」
→「勹(つつみがまえ)」
→「勿(なかれ)」
→「豕(いのこ)」
→「家」
の順に学んではどうか、というものでした。
最近このようなことを書き出して思うことがあります。
今、僕がやっているのは漢字の学習のプログラム学習ではないかと。
プログラム学習というのは、課題をできるだけ細く分け、そしてスモールステップにして学習が進みやすくするという方法です。
「家」という漢字に辿り着くまで、細かく一歩一歩進みやすくしていくということです。
この学習書作り始めた頃は、成り立ちに沿って学ぶということを考えていただけです。
もちろん、それは今も考えています。
その中で、できるだけスモールステップにするということが自然に出てきたように思います。
漢字の書き方の練習は、最初なぞり書きで始め、少しずつヒントを減らしていく工夫をしています。明日にでも紹介します。
中学英語、そして算数、数学、理科の教材もプログラム学習で作ってきたつもりです。
プログラム学習に出合ったのは、大学生のころですから、もう40年ほど前です。自己流で学んだのですが、すっかり僕の体にしみついているという感じです。
プログラム学習では「即時フィードバックの法則」というのが不可欠です。
つまり課題をやったら、それが正しいかどうかフィードバックがすぐに与えられるというものです。
いま作成している学習書でも、漢字を5つか10学習をしたら、読み方、書き取りのテストをして、そして正解かどうかのフィードバックをするのも考えていきたいと思っています。
もうすっかり慣れてしまったぼくらにとっては、難しくない漢字です。
でも、なにかとってもごちゃごちゃしていませんか。最初習うときは、混乱するのでは。
ぼくはいま漢字の学習書を作っていますが、次の順序で学んだらいいかな、と思っています。
まずは、漢字の一部として、「力」の一画目を学びます。カタカナの「フ」の字に「はね」がある形です。
力、刀、方 などの一部に使われていますね。
次に「はねありフ」に「ノ」をつけた「勹」。これは「つつみがまえ」という部首です。包、句、匂 などに使われています。
そして、「勹」に、ノを2つ加えると、「勿(なかれ)」になります。人名漢字です。
「勿論(もちろん)」などで使われますね。
「勿」に「牛(うしへん)」 で「物」になります。
その「勿」に「一、ノ、右払い」を加えると、「豕」になります。部首の一つで「ぶた・いのこ」だそうです。
豚、象 などができます。
この「豕」の上に「ウかんむり」をのせると、やっと「家」ができました。
このように、
「はねありフ」
→「勹(つつみがまえ)」
→「勿(なかれ)」
→「豕(いのこ)」
→「家」
の順に学んだら、無理なく学習できるのではないかな、と思います。
まずは池上彰の著「学び続ける力」
少し長いですが、引用します。
私の父親は口数が少なくて、ふだん子どもとおしゃべりすることもあまりありませんでしたが、あるとき「この本を読んだらどうだ?」と言って私に買ってくれた本がありました。当時岩波少年文庫から出ていた、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)でした。
中学生のコペル君というあだ名の男の子が主人公です。中学生といっても、この本が書かれたのは第二次世界大戦前の1937年で、コペル君は、旧制中学の2年生、15歳です。
コペル君は、学校である時、友達がいじめられているのを目撃します。なんとかしなきゃいけないと思いながら。「やめろよ」と言うことが出来ず、見過ごすことになってしまいます。そのことから、彼は、心に傷を抱きます。いじめを止めることができなかったといって、自分を責めます。
小学生だった私は、このコペル君の本を読んで、誰かがいじめられている時に自分はいじめを止めることができるのだろうか、勇気ってなんだろうかということを、自分なりに悩んだり考えたりしました。その時の気持ちは、今でもよく覚えています。
いじめは今に始まったことではありません。この本が書かれた時代にも、この問題はあったのです。当時も、いじめを止めることができなくて悩んでいる子どもたちがいました。吉野源三郎は、今から75年も前に、今と同じようなことを描いていたのです。
子どもの頃から、たとえばこのコペル君の本を読んで、そのようなことを考えていく、そして、親や教師も子どもたちに本を通してそういうことを考えてもらう、想像力を持ってもらう。そういうことも本なら可能なのです。
もう一冊は斎藤美奈子著「それってどうなの主義」
そこには次のようにあります。
天動説と地動説は科学ではなく文化なのだ。多くの人が共通認識としてきたのが文化だとすれば、文部省は「科学離れ」ではなく「文化破壊」に手を貸したのである。
文化的な失策には文化的な処方箋を。とりあえず私がすすめるのは吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)である。5年生のときこの本を読んだ私は、地動説と経済の仕組みと友情の大切さを学んだ。中学2年生の主人公のあだ名はコペル君。コペルニクスのコペルである。
ぼくは30代のはじめに、 この本に出会いました。
保育園を始めたころです。その時に読んだのですが、僕に大きな影響を与えたと思っています。
池上彰さんも斎藤美奈子さんも小学生のときに、この本を読んだのですね。小学生には、難しい本だと思います。2人とも小学生のころから違っていたんだ。
それを中学生か高校生の頃に読んだら、生き方が変わってくるのではないでしょうか。もちろん大学生でも、そして社会人になった人にとっても遅くはありません。とてもいい本です。
読解力があるのなら、お二人のように小学生でもいいのでしょうね。
あれを見た時にはびっくりしたものです。
そのストリートビューで店の中に入って、店内を見ることができるのはご存知ですか。
僕は最近まで知りませんでした。最近知ったのでそのやり方をここに書き出します。 体験してみてください。これもまた面白いです。
ここではコンピューターでのやり方を書きます。スマホやタブレットでのやり方は分かりません。
Google のマップを開き、そしてある程度拡大します。
右下に人形マークが出てきますね。
それを左のボタンを押したままマップ上に移動させます(ドラッグ)。
道の上にはストリートビューの青い線が出て、小さなオレンジのまるがあちこちに出てくるはずです。

その小さなオレンジのまるの地点がストリートビューのできる店です。
マップの下に説明もあります。
店ではなく路上であることもあります。
そこに人形マークを移動させます。人形マークの下に円がありますね。
その円とオレンジの丸を重ね合わせます。
するとオレンジの丸の中に黒い点が出てきます。
合わせるのは少し難しいので根気よくやってください。
そして黒い点が出てきた時に左のボタンを離します(ドロップ)。
すると店の中でストリートビューができます。
ストリートビューとは言わず店内ビューと言うべきでしょうか。
僕の住んでいる読谷村、隣の嘉手納町にはオレンジの円は出ませんでした。店内ストリートビューができるところはないようです。
那覇の国際通り、そしておもろまち、北谷の美浜辺りにはあります。
繁華街ですね
店の人がGoogle に申し込むと店内ストリートビューがやってくれるようです。試してみてはどうでしょうか。
誰かに出会いたいという気持ちはまったくないからでしょう。
出会い系サイトについて知らされるのは、ニュースで悪いことが起こった場合です。
出会い系サイトで知り合った人の間で殺人事件があった、などなど。
だから、僕にとって出会い系サイトというのは、悪いもの、危険なものだ、というイメージがありました。
ところがふと立ち止まって考えてみました。
出会い系サイトがこれだけあるのだから、いいところもあるのではないかな、と。
僕はネットショッピングをよくやります。怠け者なので、ちょっと足を伸ばせば買えるものでもネットで買ったりします。その方が安いことも多い。
そのような話を知人、友人にすると、ネットショッピングは危ないんではないか、という声がよく返ってきます。
ニュースで流れるネットショッピングは、詐欺にあったなど、悪いことが多いですね。
ネットショッピングをやってない人は、そのような悪いニュースにしか出会いません。実際にやるわけではないので、どんなものかを知らないのです。
僕はもう長年ネットショッピングをやっていますが、被害にあったことはありません。一度商品が届かないことがありましたが、Amazon に申し立てるとしばらく調査をして後、お金を返してくれました。
ニュースに流れるようなことには出会ったことはないのです。
出会い系サイトもそのようなものではないかなと思うのです。
ニュースに流れるのは悪いことだけです。でもそのニュースにはならないところでうまい具合にそのサイトを使っているのではないか。
妻にそのような話をすると、出会い系で知り合い結婚し、いま幸せだという夫婦がテレビに出ていた、と話してくれました。
そういうこともあるのですね。
ネットショッピングをやってない人にも
あなたは車を運転するでしょう。ニュースでは交通事故のニュースしか流れないけど、ニュースで流れるほどには危ないものではないことは分かるでしょう、と言えば、ネットショッピングのことも理解してくれるかな。
僕の家に取りに来ることができる人です。
先着3名様。もし1人だけであれば3本差し上げても構いません。
連絡ください 。

去年の11月頃に、庭のコーヒーの小さな木を鉢に移し替えました。
最近若い葉が出てきました。ちゃんと根付いていると思われます。
庭に移し替えれば大きく育つでしょう。
僕の家には大きなコーヒーの木があり、実もたくさん着きます。
去年はそれを収穫し、何度か自分で炒り、挽いてコーヒーを味わいました。ただ、特別に美味しいとは思いませんでした。
たぶん炒り方が下手だったからでしょう。
でも、自分の庭で採れたコーヒーを味わうことができた満足感はかなりありました。
コーヒーの木についても詳しくはありません。質問はしないでください。
この苗木に実がつくという確信はありません。
ただ同じ僕の庭の木にはコーヒーの実がついています。それの実が落ち、出てきた苗です。
実ができる可能性は十分にあると思います。


ピタンガは直径2センチほどの小さな果物。感じはアセローラに似ています。
形はかぼちゃのような感じで、カボチャアデクという和名もあるそうです。
少し甘酸っぱく、そのまま食べてもおいしいです。ぼくは好きですが、好みでない人もます。
それを妻はジャムに利用しています。
琉球大学で家政学を教えていたおばは、ジャムを作るのも上手でした。そのおばからピタンガにはジャム作りに必要なペプチンがたくさん含まれていると教わった記憶があります。
数年前に妻がピタンガだけでジャムを作ったことがあります。美味しいジャムが出来出来上がりましたが、粘り気が強すぎたと言っていました。
今年はパパイヤもよくできています。去年台風が来なかったせいか、周りからもよくいただきます。
それが熟するのを待ち、りんごなどを加え、そしてピタンガを入れてジャムにしています。
なかなか美味しいです。
ジャムを作るのにピタンガは重宝だと、庭で実ができるのを妻は喜んでいます
その学習書では、漢字をできるだけ大きな部品に分けて、それの組み合わせとして覚えるように作っています。
「学」の字。
これはカタカナのツとワ、そして子でできています。
そのツとワを一緒にできないかな、と考えました。
「ワかんむり」「ウかんむり」というのはあります。
そうすると学の上の部分は「ツワかんむり」にすればいいのではないでしょうか。
なぜそこの部分にはそういう名前はないのでしょうか。
部首に「ツ」があります。
検索すると、
部首索引:「つ、つかんむり」(漢字一覧)
が見つかり、次のようにあります。
「ツ」は、ある種の複雑な字形の一部を簡略化するとき、符号的に用いられています。常用漢字では、旧字体で「單嚴勞榮螢營擧譽學覺巢獵」であった字形の一部が「ツ」に略され、「単厳労栄蛍営挙誉学覚巣猟」になっています。これらの新字体のうち、もとの所属部首に分類できなくなった文字をまとめるため、部首として「ツ部」が設けられました。
それによると、
難しい旧漢字の複雑なものを簡単にツに置き換えたのです。
「學」は「学」に、「勞」は「労」、「榮」は「栄」になったのです。
元々「ツワ」というのは無かったので、それをまとめて言う言い方もなかったのでしょうね。
でも「ツワかんむり」というのがあれば便利です。そうすると
「学」は「ツワかんむり」と「子」
「労」は「ツワかんむり」と「力」
「栄」は「ツワかんむり」と「木」
と覚えれば、覚えやすいと思うのですがどうでしょうか。作ってしまうのです。
そして、「愛」「受」「舜」の上の部分は「ノツワかんむり」にすればいいのではないかな。
(ノツの部分で、「つめけんむり」というそうです)
同じようなことを考える人もいるようで、「ツワかんむり」を検索すると次のページも見つかりました 。
じゃあ、営の部首はな~んだ? [知りたい!!]
きのう、その動画にコメントがつきました。
織田康一19 時間前
これもだわwwwww
中学校の英語の授業でさwww
これ流れてきたんだけどwwww
とのこと。
中学校の英語の授業で、先生が流して生徒に聞かせたのだと思われますね。
ぼくが作ったものが、利用されているのなら、うれしいです。
視聴回数が、6,792回になっています。けっこう聞かれているのですね。
適材適所記憶術 中学英単語 Kindle版
2
文字式の17で 円の面積や周囲をパイを使い文字式であらわす問題がでてきました。娘は直径を(半径+半径)と書いていました。解答書には掛け算で2(半径)とありました。どちらでも半径をrとすると、文字式で表すと2rなので同じになりますが、考え方として、加法より乗法で表現するようにした方が良いのでしょうか?
何か決まりがあるのでしょうか?教えて下さい。
私は数学が苦手で説明ができません。
これは、どの考え方でもかまいません。
つまり、
直径は、半径の2倍なので、(半径)×2=2(半径) としても
直径は、半径+半径 でもまったく構いません。
解答には、併記すべきでした。
ただ、文字式にした場合は、
r+r のままではなく 2r にしたほうがベターですね。
3
娘の解答が2(a+b)となっていて、解答書は2a+2bとなっています。
娘がいうにはP78ぺージに記載されている文字式の決まり通りだといいます。
しかし私には解答書の答えの方がスッキリしていると娘に言いたい。
文字式の乗法除法どこまで省略しないと中学では?バツになるのか教えて下さい。
数学苦手な陽だまり
これは、娘の解答の 2(a+b)の方が、解答書の 2a+2b よりいいとぼくには思えます。
2a+2b でも間違いではないのですが、2(a+b)の方が美しいです。
どこの問題なのか分からないし、ぼくがなぜ 2a+2b にしたのか覚えていません。解答では、どちらも併記すべきだったのかな、と思っています。申し訳ない。
なお、数学では、式の美しさをいうときがあります。そうでなくてもまちがいではないが、できれば美しい方がいいということもあるのです。
「どこまでしないとバツになるのか」、についてですが、
それは、先生の好みがあります。授業をよく聞いて先生のくせも学ばないといけないところがあります。
娘さんは、自分の頭でよく考えて、数学を学んでいますね。とてもいいことだと思います。
ぼくが分かる範囲でしたら、できるだけお答えいたします。お気軽にご質問ください。
陽だまりさんから、メールをいただきました。
仲松先生
いつもお世話になっております。
早速丁寧な解説ありがとうございます。
理解できました。
私は数学が苦手なので、解らない時にすぐ説明して
あげられないもどかしさがあります。
お忙しい中お時間をさいてご説明いただき
とても感謝しています。
これからも『わかる解けるできる中学数学一年』
をベースに親子で学んでいきたいと思います。
3月頃、2分の1成人式の行事が学校でありました。
その時、娘が私にくれた手紙に
『今までありがとう。もう十歳、算数が大好きになりました。
中学に行くまでに全て中学の算数おわらせるよ。よろしく
おねがいします』
と書いてありました。
とても嬉しく涙がでてしまいました。親ばかですね。(笑)
実現できるか定かはわかりませんが、
先生の珠玉の問題集のおかげだと思っております。
ありがとうございます。
陽だまり
***********************
ぼくの回答がお役に立ったようで、うれしいです。
そして、娘さんの、2分の1成人式のお手紙、いいですね。
お母さんの涙が出るのは、分かります。
算数が大好きになったとのこと、ぼくもうれしいです。
親ばかでいいのです。ぼくは親ばか賛成です。
どんな子でも、親ばかだから愛せます。
その上、陽だまりさんの娘さんは本当にいいですね。
親ばかになって、これまでのように十分の愛情を注いでください。
陽だまりさんからは、これまでもメールをいただいています。ありがとうございます。
--------------------------------
送信者:陽だまり日付:2017/04/18 08:32:36
件名:教えて下さい。
--------------------------------
仲松先生
いつも先生の問題集でお世話になっております。陽だまりです。
教えて下さい。
先生の数学中1の文字式を学習しています。
その中で文系の私には説明できない所がでてきました。
娘の解答でも丸なのかな??と悩んでいます。
教えて下さい。
まず
分数の答えですが、中学1の解答をみると帯分数になおされず仮分数のままのものがありますが、数学の世界では約分や帯分数、仮分数をどのように扱っているのでしょうか?
いい質問だと思います。
それについて、僕はちゃんとした説明を読んだことも、説明を受けた記憶もありません。ぼくが理解しているように説明をします。
次のような傾向があります。
小学生の場合には、約分できる数は約分する、仮分数は帯分数に直す。
それが、高校生以上になると、約分できる場合でも約分しないことが多いし、仮分数は帯分数にせず、仮分数のままで表すことがほとんどです。
中学生の場合には、その中間ですね。約分したり帯分数に直したり。そうしなくても正解になったり。絶対的なものはありません。
問題文の中に「約分しなさい、帯分数にしなさい」のようなことが書かれていなければ、どちらでも構いません。
ただ、先生の好みもあります。どうしたらいいか、尋ねた方がいいかもしれません。
何故そうなるでしょうか。
僕は、次のように考えています。
小学生の場合には、表された分数が具体的にどうなのかというのが分かるように表すようにしているのでしょう。
例えば「15個の饅頭を6人で分けた。1人何個か」
式 15÷6=15/6 ですね。でも15/6(15分の6)では、よくわからない。
それで約分、帯分数にして、2と1/2 とします。すると、1人あたり、饅頭を2個と半分ずつ与えれば良いということが分かります。
高校生ではそんな単純な問題は まず出ませんが、
15/6 書いてあれば、15を6で割っているのだというのがすぐにわかります。
問題文に与えられている「15個、6人」というのが、その答えの中に入っているので何をしたのかすぐに分かるようになっているのです。2と1/2 では、問題文の数をどうしたのか、すぐには分からない。
そして、高校生以上になると、約分そして仮分数を帯分数に直すということは、やろうと思えばできるはずです。できない高校生もいるようですが。
そのように、やろうと思えばできる。必要ならばやるが、とくに必要なければ、そのままにしているということです。
やろうと思えばできるということを、小学生の間にきちんと身につけておくことは大切です。
それで、小学生の間は基本的に、約分し帯分数に直すということを強調しているのでしょう 。
沖縄の告別式新聞広告
塾をやめてから、少しゆっくりその告別式広告を見るようになっています。
それを見るだけですが、何かその人の家族関係などが分かったりします。
再婚したのかな、結婚しなかったのかな、などなど。
告別式広告では、最初に
喪主との関係、名前、年齢が出ます。
例えば
夫 〇山〇夫 85歳
のように。
50歳台、60歳台の場合には、妻や夫になっていることが多いです。
そして、20歳台の場合には、長男、次女など子どもですね。
もちろん10歳台、1ケタ台は、ほぼ100%子どもです。
そして、80歳台、90歳台は、父、母。
ところが、90歳台の人で夫や妻ということがあります。
たまにですが、そんなに少ないわけではありません。
そういうのを見ると、夫婦ともに長生きしたのだなと思うのです。
そのようなことを考えていていたら、今日の告別式の広告では
「妻 100歳」とありました。

もちろん、妻が100歳でも喪主である夫がいくつかはわかりません。でも大抵は同年歳ですね。そして男の方が年齢が高いことが多い。
夫婦共に100歳まで生きたのだなあと、思ったりします。
ぼくらはどうなるかな。
沖縄の新聞の告別式広告の年齢は、大抵数え年です。
だから100歳でも、満年齢か98歳か99歳でしょう。それでも長生きです。
楽譜作成無料ソフト MuseScore
で、
友人が作った歌詞に曲をつけるように頼まれて、作曲をしたが、友人がその曲を気に入らなかったことを書きました。
それは、それぞれの好みだから仕方がないことです。
ただ僕なりにがんばって作った曲です。
そのままボツにするのも嫌だなと考えていたら、自分で作詞して完成させれば良いではないかというアイデアが浮かんだのです。
そして色々考えて、僕の住んでいる読谷村座喜味にある世界遺産座喜味城の作詞をすることにしました。
そして数時間で出来上がりました。いい加減な性格なので、速いです。
それが次の歌詞です。
柔らかく優しい座喜味城
1
石の 階段の 上に伸びる坂の、その先に
やさしい 古い城が 静かに座っている
※
自由に曲がった 美しい城
柔らかく優しい 座喜味城よ
2
石 造りの アーチの 門 の その上 で
くさび石 が しっかり アーチを ささえている
※(繰り返し)
3
戦いの ために あるとは 思えな い
美しすぎ、優しすぎる、そのすがた
※(繰り返し)
4
足を入れると 時の流れがたち消えて
わ らべ の 絵のように この身を 包み込む
※(繰り返し)
なお前もって白状しますが、その内容、語句は僕の舅である曽根信一著の「読谷山路を行く」の「座喜味城」の節からぬき出し、それをつなぎ合わせたものです。そんな悪知恵が働くのです。
曽根信一はすでに亡くなっています。娘である妻Kyokoも別に問題ないんじゃないというので、著作権上問題ないということにします。
そして僕が歌って Youtube にアップしました。
こんな歌を他の人に頼むわけにはいきません。
そのため、きのうは座喜味城跡に行き、写真を何枚も撮ってきました。
本当に久しぶりにギターを弾きます。弦を押さえるのがとても甘くなっています。年齢でしょうね。
そして日ごろから弾かないといけないなと思いました。
自分のミシンを持参します。
このミシンは保育園をやっていた頃、30年ほど前のミシンで、かなり重いです。でもまだまだ使えます。
それを持って移動するというのは大変なことです。
それで、三輪キャリーカートを買いました。
階段の昇り降りができるというもの。
早速テストしました。結構いい感じです。
階段を下りる時は、ガタンガタンと、衝撃があります。少し不満。
いろいろ下り方を変えてみましたが、そんなところです。
上る時はかなりいい感じで、スムーズに登ってくれます。
力はいりますが、そのまま持つより楽です。
なかなかいいなと思っています。
家に階段があり、重いのを運ぶ人にお勧めですね
「ほんとに一人で読んで、進めています」とのこと。うれしいです。がんばってもらいたいですね。
カスタマーレビュー
5つ星のうち 5.0 よい!, 2017/4/2
投稿者 Amazon カスタマー
Amazonで購入(詳細)
レビュー対象商品: ひとりで学べる算数 小学2年生 (朝日小学生新聞の学習シリーズ) (単行本(ソフトカバー))
小一です、少し先取りさせようと購入しました。
ほんとに一人で読んで、進めています。
毎日3ページずつ進め、もう3分の1が終わりました。
量も多すぎず、教科書レベルを網羅するには
いいと思います
ひとりで学べる算数小2
パソコン教室で、タブレットの使い方を習いたいとやってきました。
スマートフォンの大きいものだろうから、なんとかできるだろうと思い、引き受けて教えました。特に問題なく教えています。
生徒のタブレットを使いながら考えたことを書きます。
これからは、パソコンよりもタブレットの時代になるのだろうな、と思うのです。(もうなっているのかな)
タブレットはとても使いやすいです。
まずマウスがありません。手で直接画面をタッチします。
全くの素人にパソコンのやり方を教えることがありますが、マウスの使い方で戸惑います。
カーソルが思うところに行きません。
そして、僕がうっかりと「はい、ここを触って」と言うと、人差し指を持ってきて触ろうとするのですね。クリックのつもりで、「触る」と言ったのですが。
直接指で触った方が楽なのです。
それから音声入力です。
パソコンでもある程度は音声入力ができます。
僕は今 Google のドキュメントを使い音声入力でこの文を書いています。
後でキーボードを使って手直しをします。
そういうのは出来ますが、例えば Amazon のページを開き、商品名を入れるとなると、そこではキーボードを使うことになります。
音声入力でするには、Voice Recognition などの別のページで商品名を音声入力し、それをコピーし貼り付けという方法になります。
直接音声で入力するよりも面倒です。
それがタブレットでは直接に簡単に音声入力ができます。
長い文章を書くとなるとまだパソコンの方がいいです。音声入力を僕は使いますが、手直しはキーボードを使います。そこのところはやはりパソコンが優れていると感じています。
ただメールの文を書いたり、 Facebook にコメントをつけたりする程度だとタブレット、スマートフォンでもそれほど苦労することなくできます。
慣れると、長い文もタブレットやスマホでできるようになるでしょう。
日頃長い文章を作ったり、表計算をするのならパソコンがいいのですが、そうでない普通の人ならタブレットがお勧めですね 。
「詞を作った。それに曲をつけてくれ」と頼まれました。
「Yojiはギターを弾くのだから、曲ぐらい作られるだろう」と言うのです。
できるかなと思いましたが、
いつも言っている
「できると思わなければできない」という気持ちで、引き受けました。
1か月ぐらいはかかるかもしれないと言って、作り始めたら、1日で出来上がりました。
そして僕が歌って録音し、それをメールに添付し送りました。
楽譜も送った方がいいなと思いました。
作曲しながら、手書きの楽譜は作りました。
それを綺麗に楽譜作成ができるソフトがないかなと探してみました。もちろん無料のものを探します。
いくつかありました。
その中から、次のページを開き、そしてダウンロード。
MuseScore | Free music composition and notation software
かなり試行錯誤をしましたが、綺麗に出来上がりました。

楽譜のメロディーを弾いて、聞かせてもくれます。間違いがすぐに分かります。
こんなのを無料で提供してくれるのですから、ありがたいことです。
僕が作るのは単純なものですが、いろいろ装飾もできるようです。
さて僕が送った曲、S吉君は気に入らなかったようです。残念です。
漢字の学習書を作っていると言うと、僕は漢字が得意なんだろうと思う人がいるでしょうね。
でも全く逆です。僕は漢字が大の苦手なのです。とにかく覚えるのが大嫌いでした。英単語なども。
大学を出ていると言うと、漢字も強いはずだと思われてしまうので恥ずかしくなります。なんとかごまかしていますが 。
それでは、なぜ漢字の学習書を作る気になったのか。
それは今の学校教育の漢字学習が良くないからです。
僕は独学でプログラム学習、水道方式について学びました。
プログラム学習は、階段を登るように、一段一段スモールステップで学習を進めていく方式です。
水道方式は系統性を重んじます。それまで学んできたことと有機的につながるような感じで学習が進んでいきます。理解しながら学ぶということも重視しています。
その観点から言うと、現在の漢字の学習は全くなっていません。
ただ、日常的によく使われる漢字の順に学んでいくというようになっているのでしょう。
これまで学んだ漢字とこれから学ぶ漢字のつながりがまったくありません。
それに気づいて、生徒たちに教えようとしてもそれは難しいです。
学年の枠で、1年ではこれらの漢字、2年ではこれらの漢字、というように教えなければいけなない漢字が学年で決められているからです。
僕がセルフ塾をやっている時も教科書に出てくる順序で学習させてきました。
学校での学習が進むと、その子のやる気も出てきます。それを重視したのです。
でも、本来あるべき順序で漢字の学習を学べるようにできないかということで学習塾を 辞めた今、それを作ろうと思ったのです。
漢字は得意でなくても、その漢字のページを作るときに、漢字辞典を引けば十分に対応できます。辞書の使い方はよくわかっています。
苦手な僕でも、小学校程度の漢字は読み書きできますし、中学校の漢字は、書くとなると難しいのですが、読みは十分にできます。
基本的な方針は、 部品を先に学び、その部品でできる漢字を後で学ぶというものです。
例えば、「希」は、
冂(どうがまえ) → 巾(きん) → 布(ぬの) → 希(き)
の順序で学んでいくようにします。
そして、できるだけ大きな塊の部品を作るようにします。
昨日は「密」のページを作りました。
「密」は、宀(うかんむり)と必(かならず)と山(やま)でできていることはすぐにわかります。
宀、必、山は、前もって学んでいます。
そこで、僕は、必と山で一つの漢字が出来、それにうかんむりが付けて密になったのではないかと推測しました。
そして、「必+山」の字を探したのですがありません。
漢字辞典の「密」の項を見ると「宓(みつ)」という字があることが分かりました。
宀+「必+山」ではなく、「宀+必」+山 だったのです。
宀(うかんむり)と必(かならず)で、宓になるのです。
宀(いえ)と必(すきまがない)とを合わせた字で、家の戸をピタリと閉じること
だそうです。
そして、
宓(家の戸をピタリと閉じること)に山をつけて、深く閉じて、人を近づけない山を表す
そうです。
その「宓」は常用漢字以外の漢字です。ほとんど使われません。ぼくは知りませんでした。でも軽くそれを学んでから、
宓(みつ)に山(やま)で、密になる
と言うことを学べば、 すぐに「密」を学ぶよりは楽なのかなと思っています 。
このように、「成り立ちに沿って学べば漢字は楽しい(仮名)」は、できるだけ大きな部品を先に学ぶように作っています。
17/04/13 Limgさんから、コメントをいただきました。
必+山=𡶇
𡶇という字もあります。cf: http://jigen.net/kanji/138631
古い情報はこちらが便利で詳しく、確実です。
http://dict.variants.moe.edu.tw/yitia/fra/fra01037.htm
右側の古い辞書の写真が確認できます。
【&玉篇】を見ると
「𡶇」は完全に密の異体字、
「宓」は「止」や「静」の意味、
が分かります。
【&集韻】を見ると
「密」が「宓」の異体字とする項目と、
「𡶇」が「密」の異体字とする項目が並存してます。
「密」はこちら
http://dict.variants.moe.edu.tw/yitib/frb/frb00740.htm
漢字の成り立ちに関しては、もっと慎重になることをお勧めします。
コメント、ありがとうございます。勉強になりました。
ネットで楽しむ海中散歩 グーグル・水中ストリートビュー、沖縄8カ所を追加
インターネット検索大手のグーグルは1日までに、地図アプリで海中の360度パノラマ画像が楽しめる「水中ストリートビュー」に、沖縄周辺8カ所の海を追加した。国内屈指のダイビングスポットである慶良間諸島など、陸上にいながらにして“海中散歩”が楽しめる。グーグルはオーストラリアやフィリピン、米国ハワイなど世界を代表する海洋リゾートで撮影した「水中ストリートビュー」を2012年から提供しているが、日本の海域を採用したのは今回が初めて。
僕は30年ほど前保育園をやっていました。
保育園の子どもたちを恩納村真栄田岬に連れて行ったことがあります。
そこでアメリカ人らしき人がダイビングから上がってきました。
沖縄の海はどうかと尋ねると、
素晴らしい。世界のあちこちでダイビングしたが、沖縄の海はその中でも素晴らしい。
と言っていました。
アメリカの軍人で、世界各地の基地を移動していて、そこでダイビングを楽しんでいるのでしょう。
そのような人たちが沖縄の海は素晴らしいと言うので本当にいいのでしょうね。
だから、 google でも沖縄の海を取り上げたのでしょう。
次のページに水中ストリートビューの見方が書いてあります。
Googleマップ、水中ストリートビューに沖縄周辺の海中を追加
ただ説明が長く、飽きた頃に、ページが出てきます。それをクリックするとみることができます。
それをここに書き抜いておきます。 沖縄の海を楽しんでみてください。
水中ストリートビューのスポットリンク
気持ちはとてもよくわかります。
これは、パソコン、ネットショッピングのやり方が分からないと言うのではなく、勇気の問題ですね。
僕もネットショッピングをよくやりますが、この商品にしようと決めても最後の決定ボタンをクリックするのに、躊躇します。
妻に頼まれてネットショッピングをやってあげることがあります。
彼女と一緒に商品を探し、そして次々に進みます。最後の決定の前までは僕がやってあげますが、最後の決定の時には
「はい、このボタンをクリックしなさい」と言って、彼女にマウスを渡します。
決定するのではあなただ、ということで、責任を妻に押し付けるのです。
このようにネットショッピングでは、普通のショッピングと違い、最後の決定ボタンを押すには結構勇気がいるのです。
なぜでしょう。
実際の店でのショッピングの場合には物を見ながら買うということもあるでしょう。
そして買うのが一瞬ではないということです。
もちろん、はいこれを買います、とレジに持っていくときが買う瞬間ではあります。
でも、それから、レジを打ってもらい、そしてお金を支払う時間があります。
最悪はレジを打ってもらってから、間違いでした、これに変えてください、などということもできないことはないです。
決定が、目の前で緩やかに決まるという感じがします。
それに比べると、ネットショッピングではクリックした瞬間に、その決定が手の届かないはるか彼方まで飛んでいく、という感じがします。
取り返しがきかない感じがします。
そのやってきた生徒と、一緒に見ながら進めていきました。
ただ送料が商品の料金の半分以上もしたので、考え込み、結局はやめにしました。
ネットショッピングではやり方を覚えるのもそうですが、普通のショッピングと違った決定ボタンをクリックする勇気も必要なのです。
僕は「あなたのやりたいことを、あなたのペースで教えます」をモットーにしています。
ネットショッピングを学びたい、という生徒がやってきました。
僕と同じ歳の主婦です。
コンピューターは検索によく使っているそうです。
でも、キーボードを打つのは上手ではなく、一つ一つ探しながらキーを打って行きます。
それで僕は、音声入力も利用しながらのネットショッピングのやり方を教えていきました。
キーボードが下手なら、音声入力は楽だと思ったのです。
セッティングは僕がやります。
会員登録、カード番号の入力などを僕がやりました。
あとは買うだけです。それほど難しいものとは思いません。しかし、難しい、覚えきれないとのこと。
生徒が帰って後、僕は考えました。
音声入力を一緒に行ってるから混乱しているのではないかなと。
キーボードが打つのが下手なら音声入力でやった方が楽なはずです。
スマホやタブレットだと、楽天ストア、amazonのサイトを開いて、そのページの検索枠に音声入力をできますが、パソコンではそれが出来ません。
それで googleドキュメントを開いて、そこに音声入力で商品名を書き出し、それをコピーし、ショッピング場面の検索枠に貼り付けるという方法を教えたのです。
慣れたら楽なはずです。でも初めて学ぶ人にとっては、それ(コピペ)を学ぶのも一苦労なのです。それで混乱したようです。
それで次は、ゆっくりでも時間がかかってもいいから、キーボードを使って手動で商品名を入れることでやりました。
すると、特に問題なく理解できたようです。
教える側にとっては楽だと思っても、学ぶ方にとっては逆に難しくなることがあるのですね。
ショッピングのやり方が身に付き、生徒が望むなら、音声入力の方法も教えようと思っています。
それに、コメントがいくつかつき、結論として、人間が一番残酷なのではということになりました。僕もそれに同感です。
セルフ塾をやっている頃、そこには猫もいたのですが、猫がいろいろな生き物を生徒達の前で食べたりします。
それを見た生徒は「残酷だ」と非難します。
それに対して僕は、「あなた達はチキンやビーフなどを食べるでしょう」などといったものです。
僕らは直接動物を殺してはいませんが、それに加担しているのです。
ある日、僕が草刈機で草を刈っていました。すると目の前をカマキリが急いで逃げていきます。
それを見て、僕は、今カマキリの住まいを破壊しているんだな、と思ったものです。そう思っても草刈を中止するわけにはいきません。
信仰心はないのですが「ごめんなさい、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言って草刈りを続けました。
テレビのドキュメンタリーで、中国などで住民の声も無視して家を取り壊し都市を開発するのがありますね。横暴だなと思いますが、僕はカマキリにそのようなことをしているのです。変わりません。
セルフ塾のすぐ隣は以前日本軍の読谷補助飛行場で、そこが米軍基地になり、パラシュート訓練場として利用されていました。
と言っても普段は何をするわけでもなく、ほったらかしにしていた土地です。一部黙認耕作地がありましたが、ほとんどが荒地です。
草が伸び放題。そこには、ハブ、うずら、マングースなど、いろいろな動物がいました。彼らの楽園だったはずです。
そこが返還されました。そして少しずつではありますが開発が進んでいます。人間の手が入り、荒地が少なくなっています。
ハブたちの住まいは全てなくなりました。
中国の住民は声をあげていましたが、ハブは 一言もあげることなく、住まいを奪われて行ったのです。どうしたのでしょうか。
僕を含む人間って残酷だなーとつくづく思います。
郵便局まで車で連れて行くと、自分で ATMを使い、お金を下ろしています。
お父さんが,グソーからお金を送ってくれる
そのお金は一万円札です。
それをもらって後、母は僕に両替をしてくれ、と頼みます。
僕は財布の中から千円札を10枚取り出し、母に渡します。
僕は母のアッシーをしています。那覇での食事会が月に3回あり、それの送迎をしています。
運転中に、母は「はい、ナンジディマ(難儀をした手間賃)」と言って、3000円を僕にくれます。
最初は当然のことをしているのだからと断っていましたが、今ではまあいいだろうと思って受け取り、自分の財布の中に入れています。
僕は買い物をする時はたいていネットショッピングにしたり、クレジットカードや Edy カードを使っています。
だから財布からお金がなくなることはあまりありません。
そして、またしばらくしたら母が年金を下ろし、そして一万円札を持ってきて両替をしてくれと頼むのです。
僕は、また財布から1000円札を取り出して母に渡します。
母から千円札をもらい、そして、母にかえっていくのです。
僕が夕食の時にそのことを話すと、母が
「金は天下の回りものだからね」と言いました。
すかさず妻が「二人だけの間を回ってるんだから、金は二人のまわりものじゃない」と言ったので、3人で笑いました。
母から父の話を聞きました。父はもう30数年前になくなっています。
父の兵役検査の時です。
馬に乗ってやってきた軍医は、一中時代の同級生前原先生でした。
前原先生はぼくもよく知っています。ぼくが子どものころ家にもたびたびやってきました。
父は前原先生に頼みます。
「(兵役検査で)落としてくれ」と。
すると、先生は
「今は、腕がなくても、足がなくても合格にする時だ。
あんたは五体満足ではないか」と言われました。
そして、もちろん合格。
「兵役逃れ」というものでしょう。
テレビドラマなどで見ると、父のこのような発言は「非国民」として石でも投げられますね。
もちろん、僕はそれを批判するつもりはありません。
無益な戦争のために命を失うより、逃げる方がいいのですから。
まだあります。伝令係になった父はあちこちを移動していたそうです。
そのうちに沖縄戦での負けも濃くなり、避難民が北部の方に移動するのを見て、それに合流したのです。脱走です。
とにかく命が惜しかったのでしょう。
そのような話を母から聞いていると、妻が言いました。
妻の父親にも召集令状(赤紙)が来ました。
でもその時にはもう沖縄では米軍の艦砲射撃が始まっていて、ひどい状態です。
こんなになってから兵隊になるものかということで、集合場所には向かわずに、逆の北部のほうに逃げていったとのこと。
テレビドラマでは、日本国民全てが日本の勝利のために尽くしているように見えますが、そうでもなかったのでしょう。
昨日の母の母と教育勅語に Facebook でNamihiraさんから 沖縄だからでしょうかというコメントをいただきました。
そうかもしれませんね。
とにかく、沖縄は本土とは違います。
戦前も皇民化教育が徹底されなかったのでしょうか。
それとも本土でも見えないところではそういう動きもあったのでしょうか。
妻が、そのことをブログに書くなら、父は本当は真面目な人だったということも付け加えてほしい、と言いました。
不真面目さから逃げたのではないということを知ってもらいたいとのことです。
僕は舅とは何年も一緒に住みましたが、本当に真面目な人です。
僕の父も真面目な人です。固すぎるぐらいでした。
母に尋ねてみました。
「教育勅語は全部覚えている?」
母は現在88歳。昭和3年(1928年)生まれ。太平洋戦争が始まった1941年(昭和16年)には、13歳でした。軍国主義教育真っ只中です。
ぼくの質問に、母は「覚えていない」と答えました。
忘れたということではなく、覚えたことはないのだそうです。
これはぼくにとって意外でした。戦前は教育勅語の教育が徹底され、どんな子も暗記していると思っていました。
朝礼の時に校長先生が読み上げるのを聞いただけだそうです。
授業で取り上げられることもなく、内容を説明されたこともないようです。
だから中身がどういうのかほとんど理解していないのです。
「保育園の子どもでも暗記しているのにね」といっしょに笑いました。
母が師範学校を受験した時に、教育勅語を書けという問題が出ました。
もちろん覚えていないので、書けません。
それもあり師範学校には不合格になりました。
それに同じ学校から2人の合格者が出ました。教育勅語を受験勉強として覚えたのかもしれません。
その2人は師範学校に進み、そして現在は、ひめゆりの塔の下に眠っているとのこと。
何がどうなるか分かりませんね。塞翁が馬です。
僕が、ここでいう「音声入力のカスタマイズ」というのは、知人、友人、家族などの名前を、僕が思う漢字で出てくることです。
例えば、僕の名前は仲松庸次です。
でも普通に「なかまつようじ」というと「中松用事」のように出ます。
それを僕のよく使う漢字「仲松庸次」に変換するというのでカスタマイズと呼んでいます。
家族、知人、友人など、その固有名詞の漢字で出てきてほしいです。
google の音声入力を使用し始めた頃は、めちゃくちゃでした。
ところがしばらくして、自動的にカスタマイズされたようで、見事に思うような漢字に変換してくれるようになりました。とてもよろこんだものです。
ところが後ヶ月前でしょうか、急にまた前のようにめちゃくちゃになったのです。思うような漢字が出てきてくれません。
それで、手動で手直しをしました。
ところがまた数日前に見事に思うような漢字に変換してくれるようになりました。復活です。
たぶん google のクラウドの何かが変更されたのでしょうね。
とにかく良い方向に変わって良かったです。
ついでに、これが良くなったのだから、句読点も改行もできるようになったかなと思って、「まる」「てん」「かいぎょう」と言ってみましたが、やっぱり駄目です。
現在の google 音声入力、とてもよいのですが、最大の欠点は、音声で、句読点が打てない、改行ができないことです。
そのうちには改良されると思いますが、早くしてほしい。
iPhone 型はそれができるそうです。
「まる」といえば句点(。)、「てん」といえば読点(、)が出るように設定すればいいのですが。
あるいは、google のクラウドスーパーコンピューターが自分で文法的に 判断して、自動で句点読点を打ってくれるようになるかもしれません。それをねらっているのかな。
近々できると期待しています 。
「定期総会へのご案内」が届きました。

今年から僕も老人会のメンバーになるようです。
僕は今64歳。老人会は今年度の誕生日で65歳以上になる人が対象のようです。
知っていたので、来たかという感じです。
まだまだ若いと言うつもりはありません。でも、もう年寄りだなという気持ちもまだないですね。
そこで思い出すのが、妻の父です。
読谷村座喜味の家に舅と同居することになってしばらくした頃です。
彼に老人会へのお誘いが来ました。今のぼくと同じ年齢だったのです。
舅は苦笑いしながら「僕にも老人会から誘いが来たよ」と言っていました。
まだまだ老人会とは思わなかったのでしょう。
ただぼくからみると、しっかり老人という感じでした。
僕も周りから見れば老人に見えるのでしょうね。
最近、高齢者の定義を75歳以上にしようという動きがあります。65歳から74歳までは準高齢者だとか。
それは実感としてわかります。ただ、年金の出し惜しみなどのためにそうするつもりなのか。それは怪しいです。