きょうもジャレド・ダイアモンド博士の「第三のチンパンジー」から引用します。
ネアンデルタール人はクロマニヨン人よりも脳の大きさは大きかったようです。
頭の良し悪しが、脳の大きさだけによるものではない、とうことは知っていますが、ネアンデルタール人は頭が良かったと考えていいでしょう。
でも新たなものを生み出す能力がクロマニヨン人よりも劣っていた。 それが原因の一つで滅びていったのでしょう。
現代でも新しいものにすぐ 飛びつく人と、 古いものに固執する人がいますね。
コンピューターやインターネットがいいと言ってすぐ始める人がいる一方、 それに見向きもしない人が 多い。
スマートフォンもそうです。
革新性のある人はクロマニヨン人的、ない人はネアンデルタール人的といっていいように思います。
ただ、そこで立ち止まって考えてみました。
老子の言葉に「足るを知る」というのがあります。
現在満足していれば、それで良いではないか、あまり欲をだすな、という考えだと僕は解釈しています。
無理に新しいものを求めて必死になるよりも、今が幸せならそれでいいではないかということです。
昇級するために必死に働くより、現在の地位でいいからゆっくりのんびり楽しもう、という考え。
確かにそれだと向上はしないでしょう。
でも、どちらが幸せなのか。
人間は進化して一番最高の位置にいると思われていますが、本当に人間が1番幸せなのか。 幸せとは何なのかを考えると難しいところであります。
ネアンデルタール人には、人間にとって最も重要な資質である革新性、つまり新たに物を生み出す能力が備わっていなかったようである。
時間や場所を隔てていながら、ネアンデルタール人の道具が全く変わっていない点からこうした事実がうかがえる。
(中略)
クロマニヨン人において、現代的な体の構造と現代的な革新の才能がついに一つになったことを道具は示唆していた。
針、釣り針、臼と杵、返しのついたモリ、弓矢など、 最終氷河期を生きたこの人類ははっきりとした用途に合わせ、様々なカテゴリーに及ぶ形態で各種の道具を作っていた。
( 中略)
この多様性が意味するものこそ、私たちが人間へと上昇していくことに伴い新たに現れた最も重要な要素、つまり発明を生み出す能力にほかならなかったのである。
ネアンデルタール人はクロマニヨン人よりも脳の大きさは大きかったようです。
頭の良し悪しが、脳の大きさだけによるものではない、とうことは知っていますが、ネアンデルタール人は頭が良かったと考えていいでしょう。
でも新たなものを生み出す能力がクロマニヨン人よりも劣っていた。 それが原因の一つで滅びていったのでしょう。
現代でも新しいものにすぐ 飛びつく人と、 古いものに固執する人がいますね。
コンピューターやインターネットがいいと言ってすぐ始める人がいる一方、 それに見向きもしない人が 多い。
スマートフォンもそうです。
革新性のある人はクロマニヨン人的、ない人はネアンデルタール人的といっていいように思います。
ただ、そこで立ち止まって考えてみました。
老子の言葉に「足るを知る」というのがあります。
現在満足していれば、それで良いではないか、あまり欲をだすな、という考えだと僕は解釈しています。
無理に新しいものを求めて必死になるよりも、今が幸せならそれでいいではないかということです。
昇級するために必死に働くより、現在の地位でいいからゆっくりのんびり楽しもう、という考え。
確かにそれだと向上はしないでしょう。
でも、どちらが幸せなのか。
人間は進化して一番最高の位置にいると思われていますが、本当に人間が1番幸せなのか。 幸せとは何なのかを考えると難しいところであります。
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