アメリカの赤ん坊のような環境にいれば,英語もすぐに上手になれるのではないか。そう思いますよね。ぼくもそう思います。
では,そういう環境をどうやって作るのか。
英語をシャワーのように浴びればいいのだ。英語漬けになればいいのだという考えがあります。英語のラジオ放送をずっと流しておく。録音したテープ(ぼくの若いころはテープしかなかったです。いまでは,MDやICレコーダなどでしょうか)を流す。きちんと聴かなくてもいい。テレビも英語のものを流す。きちんと分からなくてもいい。そのうちに,ある日突然,英語が口から飛び出すかもしれない。
しかし,それはまったくの嘘ですね。英検2級くらいの力があれば,それもいい学習法だと思います。でも,まったく英語を知らない人にはまったく効果がないでしょう。
コンピュータはまだいいでしょうね。でも,コンピュータだとそれに向かって座っていないといけません。アメリカの赤ん坊とはまったくちがいます。
赤ん坊に言葉を教えるお母さん,お父さんの教育はすごいですよ。教育とは思っていないでしょうが。
赤ちゃんが泣き出すと,すぐに駆けつけます。そして,
「どうしたの? お腹すいたの? おっぱいあげようね」と声をかけます。ただの言葉ではありません。赤ちゃんの心理を読みながら,それを代弁しています。そして,実際に経験をさせながら言葉を発しているのです。
「ママですよ」といいながら,お母さんが顔を出します。
「パパだよ」と言ってお父さん。
「マンマ,マンマ」と言ったら,お母さんは「ママと言ったよ」と大喜びます。「ママと言えたね。ママだよ」と繰り返します。
犬を見ると,「ほら,ワンワンだよ」と教えます。
「パパ,行った」と二語文が出ると,「そうね,ババは会社に行ったね」と返します。パパはの「は」という助詞を教えています。「会社に」という言葉も加えているので,三語文のモデルを示しています。
「この花,きれいくない」と,文法的に間違えた言い方をすると「そうだね。この花はきれいではないね」と正しい言い方を示してあげます。
どうですか。お母さんはすばらしい言葉の教授をしていると思いませんか。お母さんは,子どもとの会話を楽しんでいるだけです。しかし,それが子どもの言葉の発達につながるのです。子どもの言葉の力を測りながらそれに対応した教え方をしているのです。
それも,子どもの生活の中で,自然に。視覚,聴覚などの感覚を使いながら。食べたい,飲みたいという欲求も使いながら。
それをいまのコンピュータができるとは思いません。コンピュータはお母さんの足下にも及ばないでしょう。
だから,アメリカの赤ちゃんのように英語を学ぶというのは,不可能だと思うのです。
ただ,ぼくはコンピュータを否定するつもりはありません。お母さんほどではないにしろ,かなりいい教材になりうると思います。限られた範囲ではあっても,いろいろな反応ができるだろうと思います。ラジオ,本といったものは一方向性です。それに比べると,コンピュータはこちらの反応によってある程度の反応ができるように思います。
だから,コンピュータだけで英語の学習ができるというのではなく,コンピュータも学習の一つとして位置づければいいのではないか,と思うのです。
では,そういう環境をどうやって作るのか。
英語をシャワーのように浴びればいいのだ。英語漬けになればいいのだという考えがあります。英語のラジオ放送をずっと流しておく。録音したテープ(ぼくの若いころはテープしかなかったです。いまでは,MDやICレコーダなどでしょうか)を流す。きちんと聴かなくてもいい。テレビも英語のものを流す。きちんと分からなくてもいい。そのうちに,ある日突然,英語が口から飛び出すかもしれない。
しかし,それはまったくの嘘ですね。英検2級くらいの力があれば,それもいい学習法だと思います。でも,まったく英語を知らない人にはまったく効果がないでしょう。
コンピュータはまだいいでしょうね。でも,コンピュータだとそれに向かって座っていないといけません。アメリカの赤ん坊とはまったくちがいます。
赤ん坊に言葉を教えるお母さん,お父さんの教育はすごいですよ。教育とは思っていないでしょうが。
赤ちゃんが泣き出すと,すぐに駆けつけます。そして,
「どうしたの? お腹すいたの? おっぱいあげようね」と声をかけます。ただの言葉ではありません。赤ちゃんの心理を読みながら,それを代弁しています。そして,実際に経験をさせながら言葉を発しているのです。
「ママですよ」といいながら,お母さんが顔を出します。
「パパだよ」と言ってお父さん。
「マンマ,マンマ」と言ったら,お母さんは「ママと言ったよ」と大喜びます。「ママと言えたね。ママだよ」と繰り返します。
犬を見ると,「ほら,ワンワンだよ」と教えます。
「パパ,行った」と二語文が出ると,「そうね,ババは会社に行ったね」と返します。パパはの「は」という助詞を教えています。「会社に」という言葉も加えているので,三語文のモデルを示しています。
「この花,きれいくない」と,文法的に間違えた言い方をすると「そうだね。この花はきれいではないね」と正しい言い方を示してあげます。
どうですか。お母さんはすばらしい言葉の教授をしていると思いませんか。お母さんは,子どもとの会話を楽しんでいるだけです。しかし,それが子どもの言葉の発達につながるのです。子どもの言葉の力を測りながらそれに対応した教え方をしているのです。
それも,子どもの生活の中で,自然に。視覚,聴覚などの感覚を使いながら。食べたい,飲みたいという欲求も使いながら。
それをいまのコンピュータができるとは思いません。コンピュータはお母さんの足下にも及ばないでしょう。
だから,アメリカの赤ちゃんのように英語を学ぶというのは,不可能だと思うのです。
ただ,ぼくはコンピュータを否定するつもりはありません。お母さんほどではないにしろ,かなりいい教材になりうると思います。限られた範囲ではあっても,いろいろな反応ができるだろうと思います。ラジオ,本といったものは一方向性です。それに比べると,コンピュータはこちらの反応によってある程度の反応ができるように思います。
だから,コンピュータだけで英語の学習ができるというのではなく,コンピュータも学習の一つとして位置づければいいのではないか,と思うのです。
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