名詞には、数えられるもの(可算名詞)と数えられるもの(不可算名詞)があります。
拙著「プログラム学習英語」では、簡単に説明されています。many, much, few, little は、名詞が数えられるのかどうかということによります。入試問題でもよく出題されます。
入試問題の一斉授業のときなどに、少し詳しく説明します。
英語では、数えられるのかどうかというのはきびしく区別する。日本語ではそうでもないけど。
では、「本」は数えられる名詞かな、それとも数えられない名詞かな?(数えられるよ)
そうだね。では、ミルクは?(数えられない)
コップは?(数えられる)、お米は(??? 数えられないかな)
お金は?(数えられるよ)、紙は?(数えられる)
では、区別の仕方を教えるよ。
人間がいます。[黒板に簡単な人の絵を描く]
これをばさっと2つに切った。(わあ、残酷!!)
人は2人になったかな? (ならないよ)
もちろんならないね。
では、ミルクがあるよ。コップいっぱいに。それを2つに分けるよ。どれもミルクだよね。ミルクであることに変わりがない。
1つのミルクは分けてもミルク。2カップのミルクになる。このように分けてももとのものと同じものは「数えられない」とするんだ。
1つだったのをただ分けただけで2つになったり、3つになったりしては、1つ、2つと数える意味がないだろう。
人間は2つに切ってしまうともう人間とは言えない。そういうのは「数えられる」というんだ。1人の人間は切り分けても2人はならない。
水、ミルク、コーヒーなどは、数えられないということは分かるね。
本、時計、扇風機・・、これらは切ってしまうともうそのものではないので、数えられる。鉛筆は、横に切ると確かに短い鉛筆が2本ということだろうが、縦に切ると鉛筆とは言えないね。だから数えられる。イメージわいてきたかな。
次は、中級編だよ。
では、紙は? さっきみんなは紙は数えられるって答えたけど・・・。確かにぼくらは紙を1枚、2枚と数えているね。だから紙は数えられるという感じがする。
ここに1枚の紙がある。これをはさみで2つに切るよ。どうなる。やはり紙だね。だから、紙は数えられないんだよ。
数えられるのか、数えられないのかは、絶対的ではない。状況によっても変わるんだ。
コーヒーはさっき数えられないってことになったね。だから、コーヒーはふつう a coffee, two coffees とは言わない。わざわざ「いっぱいの」「2はいの」をつけて a cup of coffee , two cups of coffee などと言うんだ。
しかし、マクドナルドなどでは、one coffee , two coffees などと言うらしい。
ぼくの勝手な解釈もあるけど
店ではカップに入った状態で一つの商品だ。カップ1杯が1つの商品。それを2つに分けてしまって半分だけ出したら、たぶん次からその客は来なくなるね。分けてしまうともう元のものとは言えない。だから、数えられる名詞扱いをするんだろうね。
もちろん、ああいう忙しいところでは、a cup of なんてつけては面倒だということからでもあると思う。
石は、数えられるかな? (数えられないんじゃない。2つに分けても石だから)
そうだね。基本的には、石は数えられない名詞の仲間だ。
でも、数えられる名詞として使われることも少なくない。
たとえば、昔は石を投げて戦争をした。石つぶてなどと言うね。
大将が部下に「1000個の石を準備しろ」と命令した。部下は1000個も石を準備するのが大変だから、1個の石を2つに割って小さな石で1000個準備し、大将に渡した。
もちろん、叱られるだろうね。「これで戦争に勝てるか!ばかもん」と。
割っても石ではあるだろうけど、もうその役割をしない場合、大きさがある程度決まっている場合、そういう場合は石も数えられるということになるんだろうね。これもぼくの解釈が入っているけど。
では、お金は? お金は数えられるの?
(これについては明日書きます)
拙著「プログラム学習英語」では、簡単に説明されています。many, much, few, little は、名詞が数えられるのかどうかということによります。入試問題でもよく出題されます。
入試問題の一斉授業のときなどに、少し詳しく説明します。
英語では、数えられるのかどうかというのはきびしく区別する。日本語ではそうでもないけど。
では、「本」は数えられる名詞かな、それとも数えられない名詞かな?(数えられるよ)
そうだね。では、ミルクは?(数えられない)
コップは?(数えられる)、お米は(??? 数えられないかな)
お金は?(数えられるよ)、紙は?(数えられる)
では、区別の仕方を教えるよ。
人間がいます。[黒板に簡単な人の絵を描く]
これをばさっと2つに切った。(わあ、残酷!!)
人は2人になったかな? (ならないよ)
もちろんならないね。
では、ミルクがあるよ。コップいっぱいに。それを2つに分けるよ。どれもミルクだよね。ミルクであることに変わりがない。
1つのミルクは分けてもミルク。2カップのミルクになる。このように分けてももとのものと同じものは「数えられない」とするんだ。
1つだったのをただ分けただけで2つになったり、3つになったりしては、1つ、2つと数える意味がないだろう。
人間は2つに切ってしまうともう人間とは言えない。そういうのは「数えられる」というんだ。1人の人間は切り分けても2人はならない。
水、ミルク、コーヒーなどは、数えられないということは分かるね。
本、時計、扇風機・・、これらは切ってしまうともうそのものではないので、数えられる。鉛筆は、横に切ると確かに短い鉛筆が2本ということだろうが、縦に切ると鉛筆とは言えないね。だから数えられる。イメージわいてきたかな。
次は、中級編だよ。
では、紙は? さっきみんなは紙は数えられるって答えたけど・・・。確かにぼくらは紙を1枚、2枚と数えているね。だから紙は数えられるという感じがする。
ここに1枚の紙がある。これをはさみで2つに切るよ。どうなる。やはり紙だね。だから、紙は数えられないんだよ。
数えられるのか、数えられないのかは、絶対的ではない。状況によっても変わるんだ。
コーヒーはさっき数えられないってことになったね。だから、コーヒーはふつう a coffee, two coffees とは言わない。わざわざ「いっぱいの」「2はいの」をつけて a cup of coffee , two cups of coffee などと言うんだ。
しかし、マクドナルドなどでは、one coffee , two coffees などと言うらしい。
ぼくの勝手な解釈もあるけど
店ではカップに入った状態で一つの商品だ。カップ1杯が1つの商品。それを2つに分けてしまって半分だけ出したら、たぶん次からその客は来なくなるね。分けてしまうともう元のものとは言えない。だから、数えられる名詞扱いをするんだろうね。
もちろん、ああいう忙しいところでは、a cup of なんてつけては面倒だということからでもあると思う。
石は、数えられるかな? (数えられないんじゃない。2つに分けても石だから)
そうだね。基本的には、石は数えられない名詞の仲間だ。
でも、数えられる名詞として使われることも少なくない。
たとえば、昔は石を投げて戦争をした。石つぶてなどと言うね。
大将が部下に「1000個の石を準備しろ」と命令した。部下は1000個も石を準備するのが大変だから、1個の石を2つに割って小さな石で1000個準備し、大将に渡した。
もちろん、叱られるだろうね。「これで戦争に勝てるか!ばかもん」と。
割っても石ではあるだろうけど、もうその役割をしない場合、大きさがある程度決まっている場合、そういう場合は石も数えられるということになるんだろうね。これもぼくの解釈が入っているけど。
では、お金は? お金は数えられるの?
(これについては明日書きます)
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