mixi「フレネ教育を語り合う」に書き込んだコメントです。
これまでフレネ教育について書いてきました。すばらしい教育だと思います。ただ、ぼくはそれをそのまま行っていいのだろうかと疑問に思います。
「子どもをのばす自由教室」の著者若狭蔵之助さんも、次のように書いているところがあります。
ここにもあるように、ひとつは興味、関心だけでは視野が狭まるのではないか、ということです。
ぼくは、中学、高校のころ、数学と理科一分野以外は大嫌いでした。英語も社会も国語も。だから、興味、関心だけでよいのであれば、数学、物理、化学しか勉強しなかったのではないかと思います。今思えば、そうしていたら、とても視野の狭い人間になっていたでしょうね。
いやでもさせられていたということに今は感謝しています。だから、生徒が嫌いだという科目も強制的にでもさせています。
二番目の問題は、教育は積み上げが大切ではないか、ということです。
特に小学生の算数は積み重ねが大切です。足し算ができ、引き算に進み、かけ算、わり算と進みます。
興味、関心だけで学習を進めてきた子が、わり算が必要となった。そこでわり算を学ぶとします。たぶん、足し算、引き算、かけ算は駆け足で学ぶことになるでしょうね。意味も分からずただただ計算ができればいいということになりかねません。
スポーツでは、試合をするのが楽しいです。だからといって試合だけをしていていいかです。野球をする人は、ランニングなど基礎トレーニングを重視します。基礎がきちんとできていないと、その上に建物はしっかりできません。試合だけをしていたのではいつまでも遊びでしかありません。
基礎トレーニングはおもしろくないものです。たいていは。でも、それをしなければしっかりした技術も身に付かないものです。
子どもの興味、関心は大切だと思います。それについてこのように立派な教育をしているということで、フレネ教育にふれることができたのはよかったと思っています。それはサドベリーについても同じです。
ただ、それをそのまま取り入れていいのかという気持ちが強いのですね。年をとって保守的になっているのかも。
これまでフレネ教育について書いてきました。すばらしい教育だと思います。ただ、ぼくはそれをそのまま行っていいのだろうかと疑問に思います。
「子どもをのばす自由教室」の著者若狭蔵之助さんも、次のように書いているところがあります。
しかし、この教材群をみたからといって、私の疑問がすべて解明されたわけではない。というのは子どもが、その日常的な生活過程での諸問題や興味・関心を中心にしていたのでは、どのように教材群が整備されていようとも、同じような勉強をくり返すだけで、学習領域のひろがりが、のぞめないのではないか。その領域を、教師が指導して、拡げてやる必要があるのではないか、という問題である。
それだけではない。学習の課題を、子どもの日常生活から出発させようとすれば、たとえば失業の問題を資本主義社会のしくみの学習より前に、とりあげなければならないということも、おこりうるであろう。学習の積みあげがないために、学習すべき内容が、わかりにくいという問題は、おこらないであろうか。
ここにもあるように、ひとつは興味、関心だけでは視野が狭まるのではないか、ということです。
ぼくは、中学、高校のころ、数学と理科一分野以外は大嫌いでした。英語も社会も国語も。だから、興味、関心だけでよいのであれば、数学、物理、化学しか勉強しなかったのではないかと思います。今思えば、そうしていたら、とても視野の狭い人間になっていたでしょうね。
いやでもさせられていたということに今は感謝しています。だから、生徒が嫌いだという科目も強制的にでもさせています。
二番目の問題は、教育は積み上げが大切ではないか、ということです。
特に小学生の算数は積み重ねが大切です。足し算ができ、引き算に進み、かけ算、わり算と進みます。
興味、関心だけで学習を進めてきた子が、わり算が必要となった。そこでわり算を学ぶとします。たぶん、足し算、引き算、かけ算は駆け足で学ぶことになるでしょうね。意味も分からずただただ計算ができればいいということになりかねません。
スポーツでは、試合をするのが楽しいです。だからといって試合だけをしていていいかです。野球をする人は、ランニングなど基礎トレーニングを重視します。基礎がきちんとできていないと、その上に建物はしっかりできません。試合だけをしていたのではいつまでも遊びでしかありません。
基礎トレーニングはおもしろくないものです。たいていは。でも、それをしなければしっかりした技術も身に付かないものです。
子どもの興味、関心は大切だと思います。それについてこのように立派な教育をしているということで、フレネ教育にふれることができたのはよかったと思っています。それはサドベリーについても同じです。
ただ、それをそのまま取り入れていいのかという気持ちが強いのですね。年をとって保守的になっているのかも。
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