「相対性理論を楽しむ本」は,次の言葉で締めくくられています。
ぼくもそう思います。
「宇宙が無から作られたとか、虚数の時間から生まれた」というのは,ぼくの理解をはるかに超えています。
でも,おもしろいと思います。
昔々は,神様にやってもらうということでしか,いろいろなことは理解できませんでした。
例えば,雨を降らせるのも神様でした。だから,雨乞いなどをしたのです。しかし,今は雨が降るのがなぜか,すっかり分かっています。中学の理科で学びます。そして,人間は雨を降らせることにも成功しています。北京オリンピックでは,雨を操作したそうです。
人間は,昔から好奇心が旺盛だったのですね。この世の中がどのようにできたかをいろいろ考えました。旧約聖書では,神様の「光あれ!」から始まります。古事記では,イザナギノミコト,イザナミノミコトが出てきます。
考えても分からないことは,神様がやったことにでもして納得していたのでしょう。
それを科学が解明している,ってすばらしいことだと思います。「百億年以上前の宇宙の起源」を考えるなんて,人間はすばらしいです。
ぼくは,それを少しでも理解しようと,もがいているのですが,難しいです。
「それにしても、宇宙が無から生まれたなんて、不思議だなあ」というのが、皆さんの率直な思いかもしれませんね。
でも、宇宙が無から作られたとか、虚数の時間から生まれたというのは、こじつけや空想上の理論では決してありません。最初の宇宙は、神様が奇跡を起こして作ったのではなく、物理学の法則にしたがって、つまり自然現象としてごく当然に生まれてきた、それが明らかになってきたのです。科学の力で、はるか百億年以上前の宇宙の起源の謎に迫ることができる、そのこと自体が、すばらしく思えます。
宇宙を考えることは、翻って自分のことを考える、この宇宙の中でなぜ自分という存在が今ここにいて、これからどこへ行こうとするのかを考えることにつながるように思えます。だからこそ、人は宇宙を知りたいと思うのかもしれませんね。
ですから、これからも宇宙の謎は、私たちを魅了し続けることでしょう。
ぼくもそう思います。
「宇宙が無から作られたとか、虚数の時間から生まれた」というのは,ぼくの理解をはるかに超えています。
でも,おもしろいと思います。
昔々は,神様にやってもらうということでしか,いろいろなことは理解できませんでした。
例えば,雨を降らせるのも神様でした。だから,雨乞いなどをしたのです。しかし,今は雨が降るのがなぜか,すっかり分かっています。中学の理科で学びます。そして,人間は雨を降らせることにも成功しています。北京オリンピックでは,雨を操作したそうです。
人間は,昔から好奇心が旺盛だったのですね。この世の中がどのようにできたかをいろいろ考えました。旧約聖書では,神様の「光あれ!」から始まります。古事記では,イザナギノミコト,イザナミノミコトが出てきます。
考えても分からないことは,神様がやったことにでもして納得していたのでしょう。
それを科学が解明している,ってすばらしいことだと思います。「百億年以上前の宇宙の起源」を考えるなんて,人間はすばらしいです。
ぼくは,それを少しでも理解しようと,もがいているのですが,難しいです。
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