世界の人口は、限りない増加をつづけた。
増加は止まった。そして、減り始めた。
若い夫婦が住んでいた。このほかには、どこをさがしても、人間はいなかった。
「あたしたち、なにも、着物をつけている必要はないんじゃない。」そう言えばそうだった。べつに羞恥心は起こらなかった。
二人は服も下着もぬぎすて、はだかのまま毎日を過ごした。
彼女は子どもを宿した。
出産は完了した。だが、妻のほうは、すっかり弱っていた。安らかに息を引き取った。
機械は妻の死体を完全に分解し終わった。
そこには小さな杭のような、一端のとがった骨が一本残されているだけだった。
彼はつまずき足が乱れ、前に倒れた。骨のとがった一端が、はだかの胸に深くつきささり、血が激しく流れ出した。
薄暗い保育器のなかの赤ん坊は、静かに成長をつづけていった。
保育器のなかで成長したものが抱いた最初の意識は、ここは薄暗いということだった。そして、その感じはしだいに高まり、その絶頂で衝動は思わず声となって出た。
「光あれ。」
とてもおもしろい話だと思います。しかし、それが分かるには、前提があります。
旧約聖書の創世記の話を知っているということです。その話の逆回しバージョンなのですね。創世記を知らずに読んでも何にもおもしろくないでしょう。
念のために、創世記のあらすじも書きます。
神の「光あれ」で世界ができます。
神は人を作ります。アダムです。彼が眠っているときに、胸から骨を取り出します。それで女性を作ります。イヴです。へびにそそのかされて、二人は禁断の実を食べます。それで羞恥心をしり、身をかくします。着物です。その後子どもができ、人口が増えていきます。
下の頁に全文があります。
http://www.creationism.org/japanese/genesis1.htm
どうですか、星新一はうまく逆回しの創世記を作ったものだと感心しました。
「骨のとがった一端が、はだかの胸に深くつきささり、」のところを読んだときは、大笑いしたと思います。
男の胸に手を入れ、あばら骨を抜き取り、女を創った、という創世記の話をこのように逆回しにするとは。
中学生に、この話を読書として与えています。たまに教会に通っている人がいて、創世記を知っている子がいますが、ほとんどは知りません。
ぼくは、創世記の話をしてからその話を読ませるようにしています。(気付いたときには読み終えていたということもありますが)
この話はおもしろいようで、ぼくの下手な語り口でも、生徒は真剣に聴き入っています。
それでも中学生には難しいようで、
「ぼくの話したことと、この『最後の地球人』の話はどこが似ていて、どこが違うの?」と質問しても、すぐには答え切れません。
読書に限りませんが、楽しむためには多くの知識を持っていた方がいいですね。知っていれば知っているほど、楽しさが広がります。そのことを子どもたちにも伝えてあげたいと思っています。
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