釈迦は原理を、巧みな譬喩で語ることが多かった。その譬喩の中で、ぼく自身が最も印 象的だと思う物語をここで紹介しておく。
その話を以下に引用しますが、僕もその話は知っていました。とても感銘を受けた物語です。
あるところにキサーゴータミーという女かいた。女は貧しい家の生まれだったが、 男に見そめられて裕福な家に嫁いだ。しかし実家が貧しいために、婚家の人々からは冷遇されていた。だがやがて女に男児が生まれた。女は親族の人々から大切にきれるようになった。女は幸福の絶頂にあった。
その男児が、突然の病で死んでしまった。
女は死んだ男児の遺骸を抱いて、「この子に薬をください」と位きわめきながら、村々をさまよい歩いた。遺骸が無残にひからびていることにも気がつかなかった。村人たちは女を仏陀の前に連れていった。
狂った女は、仏陀に向かって言った。
「この子に薬をください」
仏陀は言われた。
「村々のすべての家を回り、死人を出したことのない家から、芥子種を貰いなさい。それが子供の薬になる」
女は喜んで、村の家を回り始めた。どの家にも芥子種はあった。だが、死人を出したことのない家はなかった。村々のすべての家を回り尽くし、死人を出したことのない家がー軒もないことを知った時、女は悟った。
「わが子だけが死んだのではなかった。死は人の定めだったのだ」
このようにして女は狂気から覚め、尼として仏陀のー行に加わることになった。
どうでしょうか。だれもが苦しみ悩んでいるのです。そう思うと少し気が楽になります。
この物語を久しぶりに読んで、イエスの物語の中に似たような話があったのを思い出しました。それで引用します。
イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。
イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
ヨハネ 8:1-11
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