・・・・・・昔々,ある小さな町に古い教会がありました。その教会の鐘はその町のシンボルとなっていました。
ある時いくさが起こり,この町に敵の兵士たちが侵入してきそうなので,町の住民たちはその鐘をどこかに隠すことにしました。さてどこに隠そうか?誰かが湖の中へ沈めようと言い出し,結局そうすることにしました。
町長さんが先頭に立って,みんなで鐘を船に積みこみ,湖の中ほどまで漕いでいき,鐘を水に沈めようとしました。鐘から手をはなそうとした時,住民のー人が突然言いました。
「あとで引き上げるのはどうするんだ!」
町長さんは答えました。
「心配はいらんよ。鐘を沈めるちょうどここのところの船べりに目印の傷をつけておいたんじゃから」
・・・・・・何ヶ月かたちました。いくさも終り,侵入していた敵の兵士たちもいなくなりましたので,住民たちは鐘を湖から引き上げることにしました。前と同じ船をひっぱり出し,湖の中ほどまでいって船をとめました,そして前につけておいた船べりの目印の真下を捜したのです。
しかし鐘は見つかりませんでした。
「おかしいな。鐘はどこに隠れてしまったのじゃろう。沈めた場所とまったく同じところを捜しとるに」
町長さんにはさっぱりわけがわかりませんでした。
町長さんのばかさには笑ってしまいます。
でも、相対性理論を考えていると、どこを基準にしているのか、自分で分からなくなることが少なくありません。動いている時計と止まっている時計では、時間がちがいます。動いている長さと止まっている長さは、ちがいます。時間や長さは縮んでしまうのです。
なので、いつも、これは止まっているところを基準にするのか、また動いているものを基準にするのか、はっきりさせながら考えなければいけません。それが混乱してしまうのです。
知っている人から見れば、この昔話の町長さんのような馬鹿なことをぼくはやっているのだろうな、と思います。
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