「音読みと訓読み」について調べていたら、見事に説明してあるページが見つかったので、転載します。
http://qanda.rakuten.ne.jp/qa2782795.html
「山」という字が中国から入ってきたとき、これを中国読みに「サン」「セン」と読んだのが、訓です。なんだこれは、日本では「ヤマ」のことだぜ、だったら「ヤマ」とも読もうよ。それで「ヤマ」が「音」として残った。日本人は両方の読み方を選択したのですね。
さて、中国から漢字が入ってくるとき、同じ時代に、同じ土地から、どっと入ってきたのなら問題はない。しかし入ってきた時代が違うと、そのときの発音が優勢になってしまいます。中国の出処場所も違うと、音が違ってくるのです。
漢字は南北朝から、隋、唐の時代に主に入ってきましたが、中でも唐時代が一番多い。この唐代の言葉を「漢音」といいました。日(ジツ)、人(ジン)、文(ブン)、行(コウ)と読んだのが漢音です。
それに対して、呉音と言うのは、漢音が入る前に、長い年月をかけて呉地方を中心とする広い地域から延々と入ってきたもので、出処も経路もまちまちで、漢音ほどまとまりがありません。呉音では、先の4つの漢字は、ニチ、ニン、モン、ギョウ、です。漢音が硬いのに比べ、呉音はやわらかい。
「老若男女」は「ロウジャクダンジョ」とも「ロウニャクナンニョ」とも読めるわけですね。
そしてさらに、わが国の鎌倉・室町時代になると、今度は「唐音」が入ってきます。これは「唐」の時代ではなく、もっと後の「南宋、元、明」のころの漢字です。
いずれにしても、こうした解説をしていると長くなって困りますが、音と訓の違いをもっと調べたら面白いです。朝刊は「チョウカン」で正解ですが「夕刊」は本当は「セキカン」でないといけないわけですね。一朝一夕(イッチョウイッセキ)と読むのですから。
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