セルフ塾は、ある意味では学力の劣る生徒に対して残酷な塾だと思います。
今年四月にセルフ塾に入塾した中学二年生のTくんがつぶやいていました。
「僕は読谷高校に入れるかな」と。
学校の一斉授業の中では学力が優れているか、劣るかというのは、それほどはっきりしません。
もちろん、先生に質問されて、それに答え切れる優秀な生徒と、それに答えきれない、学力の劣る生徒はわかります。だから、生徒たちも、○○くんは頭がいい、△△くんは頭が悪い、とうわさします。
しかし、それほどはっきりはしません。
先生の話していることがわからなくてもみんなといっしょにすわって、みんなと同じ授業を受けるので、学習の進み具合に差が出てきません。
しかし、セルフ塾の場合には、それぞれの生徒の進み具合が全く異なってくるのです。
セルフ塾での子どもたちの関心の的は、今日その段階で友人が何科目終わったのかということです。
僕らの目の前でお互いに「何科目終わった?」と尋ね合っています。
そして優秀な生徒はさっさとその日の課題を終えて帰っていきます。
しかし、学力の劣った生徒はなかなか終わることができずに、帰る時間が遅れます。そして、その日の課題を終えることができずにいるものですから、学習の進み具合がどんどん遅れてきます。
学力によってその日の課題の量を調整はしています。学力の劣る生徒は少なめに課題を与えているのです。応用は抜いて、基礎的なことをしっかりさせるようにしています。
それでも学習に対する集中度もだいぶ違ものですから、なかなかその日の課題を終ることが出来ないのです。
このようにして、それぞれの生徒は自分とほかの生徒との進み具合の差が自覚されるようになるのです。自分が劣っているというのをきちっと見せつけられるようなものなのです。
そうすると、今まで読谷高校に入りたいと思っていて、別に無理だとも思っていなかったのが、学力が劣ることがはっきりしてきて、読谷高校にはいけないのではないかという不安が出てくるのです。
僕は、セルフラーニングというのは学力の劣った生徒にもいいものだと思っています。
人間の能力というのは個人差がとても大きいです。だから一斉に同じことをするのにするのはとても無理があります。
だからそれぞれの子どもに合った力で、それぞれの進み具合でいいのではないかと思っています。
ゆっくりゆっくりでいいから、自分がきちんとわかるような学習を毎日することが大切なのです。
しかし、現実にはほかの生徒との差がはっきりするというのもセルフ塾なのです。セルフ塾に入塾して自分の学力が劣っているというのが自分でもはっきり自覚してしまうのです。
それはある時期には必ず訪れることではあります。
高校入試を前にして、模擬テストを受ければ自分の学力ははっきりします。
しかし、セルフ塾の場合にはそれ以前にほかの生徒との差がはっきりしてくるのです。
そういった意味では学力の劣った生徒に残酷なセルフ塾だと思います。
今年四月にセルフ塾に入塾した中学二年生のTくんがつぶやいていました。
「僕は読谷高校に入れるかな」と。
学校の一斉授業の中では学力が優れているか、劣るかというのは、それほどはっきりしません。
もちろん、先生に質問されて、それに答え切れる優秀な生徒と、それに答えきれない、学力の劣る生徒はわかります。だから、生徒たちも、○○くんは頭がいい、△△くんは頭が悪い、とうわさします。
しかし、それほどはっきりはしません。
先生の話していることがわからなくてもみんなといっしょにすわって、みんなと同じ授業を受けるので、学習の進み具合に差が出てきません。
しかし、セルフ塾の場合には、それぞれの生徒の進み具合が全く異なってくるのです。
セルフ塾での子どもたちの関心の的は、今日その段階で友人が何科目終わったのかということです。
僕らの目の前でお互いに「何科目終わった?」と尋ね合っています。
そして優秀な生徒はさっさとその日の課題を終えて帰っていきます。
しかし、学力の劣った生徒はなかなか終わることができずに、帰る時間が遅れます。そして、その日の課題を終えることができずにいるものですから、学習の進み具合がどんどん遅れてきます。
学力によってその日の課題の量を調整はしています。学力の劣る生徒は少なめに課題を与えているのです。応用は抜いて、基礎的なことをしっかりさせるようにしています。
それでも学習に対する集中度もだいぶ違ものですから、なかなかその日の課題を終ることが出来ないのです。
このようにして、それぞれの生徒は自分とほかの生徒との進み具合の差が自覚されるようになるのです。自分が劣っているというのをきちっと見せつけられるようなものなのです。
そうすると、今まで読谷高校に入りたいと思っていて、別に無理だとも思っていなかったのが、学力が劣ることがはっきりしてきて、読谷高校にはいけないのではないかという不安が出てくるのです。
僕は、セルフラーニングというのは学力の劣った生徒にもいいものだと思っています。
人間の能力というのは個人差がとても大きいです。だから一斉に同じことをするのにするのはとても無理があります。
だからそれぞれの子どもに合った力で、それぞれの進み具合でいいのではないかと思っています。
ゆっくりゆっくりでいいから、自分がきちんとわかるような学習を毎日することが大切なのです。
しかし、現実にはほかの生徒との差がはっきりするというのもセルフ塾なのです。セルフ塾に入塾して自分の学力が劣っているというのが自分でもはっきり自覚してしまうのです。
それはある時期には必ず訪れることではあります。
高校入試を前にして、模擬テストを受ければ自分の学力ははっきりします。
しかし、セルフ塾の場合にはそれ以前にほかの生徒との差がはっきりしてくるのです。
そういった意味では学力の劣った生徒に残酷なセルフ塾だと思います。
- 関連記事
-
- しつけのできていない生徒が多い (2010/06/18)
- 上部がべた塗りの原稿の印刷で紙詰まり (2010/06/16)
- 「セルフ塾」はある意味、学力の劣る生徒に残酷 (2010/06/12)
- 5月皆出席率、4月を上回る (2010/06/10)
- 読谷中学のテスト勉強 (2010/06/10)
スポンサーサイト
Comment
Track Back
TB*URL |
| ホーム |