きのう紹介した福嶋 隆史著「『本当の国語力』が驚くほど伸びる本」から引用します。
文を書いた人は,何かを伝えたくて書いているのです。だからそれを正確に受け止めることが大切です。それができない人はそれをきたえなければいけません。
以前書いた記事です。
読解と解釈と鑑賞の違い
ぼくもそう思います。国語の文は,自由に読んでおもしろがる面があります。また,作者がいいたいことをきちんと読みとるということも必要です。〇大ウソ①国語の答えは1つではない。もっと自由な科目のはず
じつはこの言葉、「答えの数」を文字どおり気にしているのではありません。
その真意はこうです。
「国語は味わう科目なのだから、テストをやって答えを決めつけたりするな。そもそもテストなんかできないはずだ。文章の味わい方や感じ方に、決まった”答え”などない」
たしかに、文章の「味わい方や感じ方」に答えはありません。
自由です。いや、むしろ自由でなければなりません。
たとえば、感動の度合いを点数で評価するなんて、私も大反対です。
しかし、それはあくまでも、国語を「味わう科目」と位置づけた場合の話です。
国語とは「論理的な読み方・書き方」を学ぶ科目であり、「味わい方」を学ぶ科目ではありません。
さらに、「味わい方」はテストできませんが、「論理力」はテストできます。
もしあなたが、わが子の国語力を伸ばしたいという願いを捨てるのなら、「味わう国語」「センスの国語」を受け入れてもかまいません。
しかし、願いをかなえたいのなら、そんな考え方とは早くサヨナラすることです。
文を書いた人は,何かを伝えたくて書いているのです。だからそれを正確に受け止めることが大切です。それができない人はそれをきたえなければいけません。
以前書いた記事です。
読解と解釈と鑑賞の違い
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福嶋隆史氏の論理的思考への反論 読解に、登場人物の気持ちの読み取りは欠かせない。登場人物の気持ちの読み取りを行う場合、もし論理的に解けるというのであれば、どうしてその気持ちになったと考えるに至ったかを、論理の組み立てによって明示できなければならない。 …突然太郎は花子の頭をコンと小突きました。そして「バカヤロウ」と一言つぶやいて、去ってゆきました。それまで笑顔だった花子の目には、みるみる... [続きを読む]
営業の良識を問う 2014/02/25/Tue 02:05

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