FC2ブログ
セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

よしや(吉屋チルー)を訪ねる
 先月は、恩納ナビーを訪ねました。琉球の2大歌人は、ナビーとよしやです。それで今月はよしやを訪ねる旅に出かけました。

 よしやは、吉屋チルーとしてよく知られていまが、「よしや」の方が正確なようです。名前については明日書きたいと思います。

 まずは、ヤフー辞典で調べたよしやについて。

よしや思鶴(よしやうみつる) [ 日本大百科全書(小学館) ]

琉歌(りゅうか)の女流歌人。生没年ともに不明だが、ほぼ18世紀初頭の人と推測される。
擬古文の物語『苔(こけ)の下』(平敷屋朝敏(へしきやちょうびん)作、1730ころ)の主人公でもある。沖縄中部読谷山(よみたんざ)で育ち、遊廓(ゆうかく)に売られて那覇に出、悲恋のうちに18歳の生涯を閉じたという。
「恨む比謝橋やわぬ渡さともて 情ないぬ人のかけておきやら」は、故郷から那覇仲島の遊廓に行くよしや8歳の作だという。伝説じみてはいるが、恨みの情を主調とするよしやの歌の特徴がみられる。恩納(おんな)なべと並ぶ代表的歌人であるが、作風は、懸詞(かけことば)や縁語をはじめ和歌の心と修辞を自在に琉歌に写し、洗練された美意識を表出する。 [ 執筆者:外間守善 ]


午前 11時43分 京子を家で迎えて座喜味の家を出発する。

11時49分 読谷村農協給油所でガソリンを入れる.

12時03分 比謝橋のたもと、吉屋チルーの歌碑」
   

 「恨む比謝橋や 情けないぬ人の 
    わぬ渡さともて かけておきやら」

  上の外間守善の説明にある歌と少々異なる。
  平成17年にできたもので、ぼくも初めて来た。まだ新しい。
yoshiyakahi.jpg


12時18分 嘉手納町の福祉センターの駐車場に車をとめる。比謝橋からほんの少し南に行ったところである。そこに「旧比謝橋模型碑」がある。
  それには吉屋チルーの歌ものっていて、それについてもふれられている。でも、かすれていてほとんど読めない。以前、舅曽根信一に連れられてきた記憶がある。
 新しい歌碑ができたので、ここは忘れ去られそうだが、ふるいのはそれだけでも価値があると思う。
 歌碑を訪ねてきた人は、ほんの数分南下すればいけるのでぜひ行ってほしい。
yoshiyakahi2.jpg

1時34分 昼食をとるためにレストランに。

2時46分 仲島の大石の写真を撮る。バスターミナルの一隅にある。
  バス誘導係のおじさんが、ここは歩くな、むこうの歩道を歩けなどとうるさい。でも仕事だから、ご苦労様です。
yoshiya3.jpg

 よしやは、この近くの遊郭にいたとのこと。
表示板から抜粋「この付近に仲島の遊廓があり、多くの遊人が訪れ賑わっていた。歌人として有名な「よしや(吉屋地チルー)」も、この遊廓で短くはかない生涯を終えたと伝えられている。」

4時32分 親鸞聖人像のあるところに来る。読谷側から北上しているときは木の陰に隠れて分からなかった。マリブハウスのところでUターンし、南下したらすぐに分かる。
 そこに「よしやの墓」と言われているところがある。
yoshiya4.jpg


http://midori.ti-da.net/e1018399.html のページにあった。真偽のほどは分からない。
 でも、少しでもそういうことが伝わっているなら、地元で「よしやの墓と伝えられている」というような説明板でも作れば、定着してしまうのではないだろうか。観光にも一役かうかも。

4時58分 座喜味の家に到着。

関連記事
スポンサーサイト




Comment

 秘密にする

Track Back
TB*URL

Copyright © セルフ塾のブログ. all rights reserved.