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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

「吉屋チルー」は本来の呼び名ではないらしい
 多くの沖縄の人が「恨む比謝橋や ~~~」の琉歌をよく知っています。とても有名な歌です。

そして、

「その作者は?」と問いかけると、

 ほぼ100%の人が自信満々に「吉屋チルーさ」と答えます。
沖縄ではそれくらい有名です。首里の王様の名前は知らなくても「吉屋チルー」の名前は知っています。

 ぼくもその中の一人でした。「恨む比謝橋や」の作者は「吉屋チルー」だと思っていましたのです。

 しかし、この「吉屋チルー」というのは本来の呼び名ではないようです。

 曽根信一著「読谷山路を行く」のp160~161にかけてを引用します。

「よしや」という名の由来

私たちがいま、「吉屋チルー」と呼んでいるのは、彼女の本来の呼び名ではないらしい。

昔からの色々な歌書も、殆ど単に、よしや(吉屋)とだけ書いてある。それをチルーと付けて呼ぶのは、明治以後の芝居のせいではないかという。

 しかし、チルーという名が、彼女と全く無関係ということでもない。前にあげた平敷屋朝敏作の「苔の下」の中に、
「つる君とてよしやにつかいけるうかれめそばに来て云々」とある。

 つまり、 つる(チルー)とはよしやの小間使いをしている禿(かぶろ)(先輩遊女に使われる少女)の名だったことになる。

 それを、あるいは吉屋を、彼女が召し抱えられている女郎屋と勘違いして、それにチルーを付けて吉屋チルーという姓名風にしたのだろう。

しかし、よしやとは、屋号ではなくて、彼女に付けられた渾名(ニックネーム)だったのではないかという説(島袋全発氏)がある。

(中略)

これが当時「かぶき者」と呼ばれた旗本奴である。その旗本奴のいくつかのグループの中でも、特に人々の口の端に上っていたのに、吉屋組というのがあった。この吉屋が、わがよしやの津名の起こりだというのである。

(後略)



 なお、この曽根信一はぼくの舅です。もうなくなりました。
 この「読谷山路を行く」は、ぼくが販売もしています。

曽根信一著「読谷山路を行く」
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