まずは次の記事を。
http://eternalscrap.tumblr.com/post/80160947/2500-8
昨夜、友人たちと酒を飲みました。
高校の同級生Yoshihiroくんが、
「Yojiは、いつも方言をつかっていたよな」といいました。
そうですね。ぼくはよく方言をつかっていました。首里中出身の仲間とは特に。
でも、ぼくの方言はちゃんとした方言ではありません。
ぼくが小学、中学のころ、方言は使ってはいけないと教育されていました。
「共通語励行週間」なんてものがあったのです。
多くの生徒が方言を使う。それでは教育にならない。だから、学校をあげて方言を使うのを禁止し、共通語を使うようにしよう、というものです。
帰りのホームルームでは、「○○が方言を使っていた」と、告げ口をさせるようなことまでやっていました。
方言を使うのはよくないことだ、と教え込まれたのです。
でも、素直でないぼくらは、隠れては方言を使っていました。
家に帰っても、似たようなものでした。
祖父、おば、父親は、大人同士で話をするときは、方言を使っていました。
でも、ぼくら子どもと話すときは、共通語を使うのです。おじいさんまでそうでした。
だから、ぼくは大人と方言で話す機会がありませんでした。
ぼくが方言を話すと、おばさんたちは、
「こんな方言があるか」と笑うのです。
間違えた方言を使ったら、笑われるだけです。
「こういうときんは、こう言うんだよ」と教えてくれたことはありません。
だから、大人と方言で話すのは避けるようになりました。
振り返ると、ぼくの時代が分かれ道かなと思います。あのころに、「共通語励行」などという運動をせずに、方言を残しましょう運動をすれば楽に残すことができたでしょう。
ぼくの兄は2学年違うのですが、お年寄りとも方言で話すことができます。
妹は、2学年下です。方言はまったく使いません。女の子はぼくの同期生も先輩方も方言を使わなかったので、学年の差のせいだけとはいえません。
弟はぼくと5学年違います。彼が方言を話しているのを聞いたことがありません。聞いて理解することはできるようです。方言はまったく話せないと言っています。
ぼくが小学、中学のころに、みるみる方言が使われなくなっていったのです。
「英語脳」などという言葉が最近よく使われますね。
それがあるとしたら、ぼくには「沖縄語脳」があります。きちんと正しい沖縄語とはいえないかもしれませんが、ぼくは沖縄語を使うことができます。
あのころなら、ちょっとしたエネルギーで方言を残すことができたでしょうね。
いまの子どもたちは方言がまったく使えません。彼らの使う方言はぼくが聞いてもおかしな言葉です。方言とも共通語ともいえない言葉です。
彼らに方言を教えるのは難しいですね。よっぽどのことがなければ無理です。
ぼくらが死ぬころは方言も死んでしまうのかもしれません。
妻の話によると舅(曽根信一)は、方言を残す努力をしていたようです。妻が小学生のころ、方言DAYというのを設けて、その日は方言しか使っていけない、ということにしたようです。
妻は方言が使えないので、その日はいやだったと話しています。
ぼくはちょっと勉強すれば、方言が上手に使えると思っています。塾を閉めて時間ができたら、勉強してみようかな。
http://eternalscrap.tumblr.com/post/80160947/2500-8
世界で約2500の言語が消滅の危機にさらされているとの調査結果を、国連教育科学文化機関(ユネスコ、本部パリ)が19日発表 した。
日本では、アイヌ語について話し手が15人とされ、「極めて深刻」と評価された。
このほか沖縄県の八重山語、与那国語が「重大な危険」に、沖縄語、国頭(くにがみ)語、宮古語、鹿児島県・奄美諸島の奄美語、東京都・八丈島など の八丈語が「危険」と分類された。ユネスコの担当者は「これらの言語が日本で方言として扱われているのは認識しているが、国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当と考えた」と話した。
昨夜、友人たちと酒を飲みました。
高校の同級生Yoshihiroくんが、
「Yojiは、いつも方言をつかっていたよな」といいました。
そうですね。ぼくはよく方言をつかっていました。首里中出身の仲間とは特に。
でも、ぼくの方言はちゃんとした方言ではありません。
ぼくが小学、中学のころ、方言は使ってはいけないと教育されていました。
「共通語励行週間」なんてものがあったのです。
多くの生徒が方言を使う。それでは教育にならない。だから、学校をあげて方言を使うのを禁止し、共通語を使うようにしよう、というものです。
帰りのホームルームでは、「○○が方言を使っていた」と、告げ口をさせるようなことまでやっていました。
方言を使うのはよくないことだ、と教え込まれたのです。
でも、素直でないぼくらは、隠れては方言を使っていました。
家に帰っても、似たようなものでした。
祖父、おば、父親は、大人同士で話をするときは、方言を使っていました。
でも、ぼくら子どもと話すときは、共通語を使うのです。おじいさんまでそうでした。
だから、ぼくは大人と方言で話す機会がありませんでした。
ぼくが方言を話すと、おばさんたちは、
「こんな方言があるか」と笑うのです。
間違えた方言を使ったら、笑われるだけです。
「こういうときんは、こう言うんだよ」と教えてくれたことはありません。
だから、大人と方言で話すのは避けるようになりました。
振り返ると、ぼくの時代が分かれ道かなと思います。あのころに、「共通語励行」などという運動をせずに、方言を残しましょう運動をすれば楽に残すことができたでしょう。
ぼくの兄は2学年違うのですが、お年寄りとも方言で話すことができます。
妹は、2学年下です。方言はまったく使いません。女の子はぼくの同期生も先輩方も方言を使わなかったので、学年の差のせいだけとはいえません。
弟はぼくと5学年違います。彼が方言を話しているのを聞いたことがありません。聞いて理解することはできるようです。方言はまったく話せないと言っています。
ぼくが小学、中学のころに、みるみる方言が使われなくなっていったのです。
「英語脳」などという言葉が最近よく使われますね。
それがあるとしたら、ぼくには「沖縄語脳」があります。きちんと正しい沖縄語とはいえないかもしれませんが、ぼくは沖縄語を使うことができます。
あのころなら、ちょっとしたエネルギーで方言を残すことができたでしょうね。
いまの子どもたちは方言がまったく使えません。彼らの使う方言はぼくが聞いてもおかしな言葉です。方言とも共通語ともいえない言葉です。
彼らに方言を教えるのは難しいですね。よっぽどのことがなければ無理です。
ぼくらが死ぬころは方言も死んでしまうのかもしれません。
妻の話によると舅(曽根信一)は、方言を残す努力をしていたようです。妻が小学生のころ、方言DAYというのを設けて、その日は方言しか使っていけない、ということにしたようです。
妻は方言が使えないので、その日はいやだったと話しています。
ぼくはちょっと勉強すれば、方言が上手に使えると思っています。塾を閉めて時間ができたら、勉強してみようかな。
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実は、5月の連休に沖縄に行きました。
那覇のタクシーに載ったところ、ちょっと奇妙なラジオ放送がなっています。方言と標準日本語とをあえて混ぜて話している、教育番組的なモノだとわかりましたので、「沖縄語ラジオ番組ですか?」と質問してみたのです。やはり、そのようです。
こういう放送を聴いていたら、沖縄の言葉を理解することが出来るようになるのでしょうね。おそらくオランダ人やドイツ人が英語を学ぶというのは、沖縄語を学ぶくらいの感じなのかなあと思いました。
那覇のタクシーに載ったところ、ちょっと奇妙なラジオ放送がなっています。方言と標準日本語とをあえて混ぜて話している、教育番組的なモノだとわかりましたので、「沖縄語ラジオ番組ですか?」と質問してみたのです。やはり、そのようです。
こういう放送を聴いていたら、沖縄の言葉を理解することが出来るようになるのでしょうね。おそらくオランダ人やドイツ人が英語を学ぶというのは、沖縄語を学ぶくらいの感じなのかなあと思いました。
rinkaan | URL | 2010/09/07/Tue 01:57[EDIT]
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