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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

吉田松陰の足跡
 お恥ずかしい話ですが、僕はこれまで吉田松陰がペリー艦隊の船で密航しようと企てたのが浦賀だと思っていました。実は下田だったのですね。

 吉田松陰が密航を企てたというのは、とてもよく知っています。いろいろな本などで何度も触れています。そして、そこでは「下田」というのがちゃんとを書かれていたのでしょう。

 しかし、ぼくの頭の中では、浦賀だと思い込んでいるので、ずっとそう思い続けていたのです。

 ペリー艦隊が最初にあらわれたのは浦賀です。それは、とてもとても有名な話です。だから吉田松陰が密航を企てたのも、浦賀だと勝手に思い込んでいたようです。

 今回の旅で下調べをすると、浦賀ではなく下田だということがはっきりしたのです。

 さて下田には吉田松陰にかかわる多くの史跡がのこっています。それも今度いくつか回りました。

 web上の次のページには,それが紹介されていますので、それに従って僕も書いてみます。

下田にある吉田松陰の史跡を巡る旅(吉田松陰.com)

 静岡県下田は、日米和親条約の締結に伴い、函館とともに日本で最初に開港となった港町です。
 吉田松陰が、異国を見聞しようとペリー艦隊へ乗艦し、密航を試みた場所であり、数多くの吉田松陰に関する史跡が点在しています。
 このページでは、海と幕末ロマンの地・下田の松陰関連史跡をご紹介します。



【蓮台寺温泉・吉田松陰寓寄処(旧村山行馬郎邸)】
静岡・蓮台寺温泉にある旧・村山行馬郎邸。
密航しようと下田に行った吉田松陰が、疥癬(かいせん)という皮膚病の湯治の為に訪れた
蓮台寺温泉で、数日間身を寄せた場所(医師であった村山行馬郎に匿われた)。
当時のままの姿を残しており、静岡県指定史跡「吉田松陰寓寄処」として公開されている。
松陰を匿った部屋や、松陰が使用した机や硯(すずり)なども展示されている必見の松陰スポット。
下田での吉田松陰・金子重輔の足跡なども細かく解説してもらえる。


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 ここ吉田松陰寓寄処は、実は行くことをやめようと思っていたところです。

 この場所は下田市内から少し離れていて、下田駅のつぎの駅で降りていくところです。

 時間的に下田は半日しか当てていなかったので、無理だろうと思っていたのです。三島神社の吉田松陰像を見て後、下田駅に戻るためにタクシーに乗りました。

 そのタクシーの運転手との会話の中で、それほど遠くなく、時間的にも十分間に合うということだったので、そこに向かうことにしたのです。列車には十分間に合い、とてもよかったと思っています。

【蓮台寺温泉・吉田松陰湯治の湯(共同湯)】
ひどい皮膚病を患っていた吉田松陰が、治療のために初めに訪れた蓮台寺の共同湯。村人しか入浴してはいけない共同湯に夜中に入浴している松陰を発見した付近の医者・村山行馬郎は、その後、松陰を自邸に呼び入れ、匿った。


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【吉田松陰投宿の跡(岡村屋跡)】
下田に来た吉田松陰・金子重輔の二人がはじめに宿をとった旅館・岡村屋跡。
「下田屋旅館」という名で現在も営業している。


  ここには行きませんでした。旅行から帰って、きょう、この記事を書くためにネットサーフィンしていると、このページに出合ったのです。こういう場所があることを初めて知りました。

 僕の泊まっていたホテルからそう遠くないところにあるようなので、残念です。

【吉田松陰拘禁の跡(長命寺跡)】
密航に失敗し自首した吉田松陰と金子重輔が、下田奉行所の命により拘禁された宝光院長命寺の跡地。
現在、長命寺は廃寺となっており、同地には下田市立中央公民館が建っている。


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【黒船遊覧船「サスケハナ号」】
黒船を模した遊覧船「サスケハナ号」。(史跡でもなんでもありませんが…)
松陰が密航をしようと身を隠し、小舟を漕ぎ出した弁天島を海上から見ることができる。


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【吉田松陰の像(三島神社内)】
昭和17年に三島神社内に建立された吉田松陰の石像。下田の海を雄々しく見つめる。潮風と経年からか傷みが激しい。


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【吉田松陰踏海の企て跡、吉田松陰・金子重輔の像「踏海の朝」】
弁天島の横にある公園に建てられている、吉田松陰と金子重輔の像。題は「踏海の朝」。


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【吉田松陰の七生説の碑・金子重之助の顕彰碑、弁天島 弁天社】

弁天島にある吉田松陰の七生説の碑・金子重之助の顕彰碑と弁天社。
吉田松陰と金子重輔はこの祠に身を隠して西暦1854年4月24日の夜、密航を試みた。弁天島は現在陸続きになっている。


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【ハリスの小径、吉田松陰「至誠通天」顕彰碑】
弁天島から少し行くと、初代米国総領事・ハリスが散歩したという「ハリスの小径」が見えてくる。
その途中に「至誠通天」と大書された吉田松陰顕彰碑がある。

【吉田松陰上陸の碑】
密航の乗艦を拒否された松陰と金子重輔が送り返され上陸した場所(福浦海岸)。
ハリスの小径をそのまま15分ほど歩くと吉田松陰上陸の碑に突き当たる。



 旅行に行く前に、下田市観光協会から観光パンフなどを送ってもらいました。

 その中に地図があり、ハリスの小径を少し行ったところに吉田松陰の何かがあるというのを見つけました。そして、そこも行きたいと思っていました。しかし、、ずっと歩いて来て少々疲れている上に、時間的にも少々焦っていました。

 それでタクシーが来たら、タクシーで行き、そして駅に戻ろうと考えていました。

 しかし、タクシー運転手は知りませんでした。ぼくらが見てきた像の話をするのです。

 それの載っている地図もすぐ探せなかったので、いくことをあきらめました。

 このページ(下田にある吉田松陰の史跡を巡る旅)を旅行に行く前にきちんと読んでいたらと残念に思います。

【ペリー上陸の碑】

 
ペリー艦隊の乗組員が上陸した、下田公園下の鼻黒の地に建つペリー上陸の碑。
吉田松陰、金子重輔の密航未遂事件に関するペリー提督の感想としては、松陰と金子に非常に好意的な文書が残されている。
「日本の厳重な法律を破り、知識を得るために命を賭けた二人の教養ある日本人の烈しい知識欲を示すもので、興味深いことである。日本人の志向がこのようなものであるとすれば、この興味ある国の前途は何と実のあるもの
であるか、その前途は何と有望であることか。(中略)哀れな二人の運命がその後どうなったかはまったく確かめることができなかったが、当局が寛大であり、二人の首をはねるというような極刑を与えないことを望む。なぜなら、それは過激にして残忍な日本の法律によれば大きな罪であっても、我々にとってはただ自由にして大いに讃えるべき好奇心の発露にすぎないように見えるからである」と述べている。


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さて、鎌倉市内を歩いているときです。Kyokoの友人のおすすめポイントとして、瑞泉寺を紹介してもらいました。それで、その瑞泉寺に出かけました。

 とても多くの種類の植物が植えられており、他の寺とはだいぶ異なる雰囲気です。の友人が薦めるのもよく理解できました。

 さて、植物の間の途を歩いているときです。Kyokoが、吉田松陰の石碑があるよと云いました。

 確かに「松陰吉田先生留跡碑」とあります。なぜこんなところに吉田松陰のものがあるのだろうかと不思議に思いましたが、とにかく、写真を写しました。
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 そして、帰って来てからネットを見てみました。すると、次のところにこのような紹介がありました。

松陰遊学歴


瑞泉寺第25世住職となった「竹院和尚」(天保14年)は、松陰の母滝の実兄であったため3度ほど、この寺を訪れている。
東北の旅に出る前、黒船でアメリカに密航しようとした直前にも、竹院和尚を訪ねこの寺に泊まっている。


 偶然ではありますが、その石碑を確認できたのはうれしいことです。


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