妹がなくなって今日は初七日です。
さて、昨日、兄嫁の父親が亡くなりました。ぼくもとても親しくしていました。やさしい方でした。90歳を越えるので、天命をまっとうしたとはいえるでしょう。
さて、僕の兄にとっては二人ともかなり近い人です。その妹と舅が1週間もしないうちに亡くなったのですから大変です。
今日は兄嫁の父親の告別式です。兄にとっては、妹の初七日と舅の告別式が重なってしまったのです。大変な1日です。告別式の方が重大なのでそちらに行くことになりました。もちろんのことです。
ふだんならぼくらも兄嫁の父親の告別式に駆けつけなければいけないのですが、妹の初七日を優先させました。
さて長男である兄に、僕は家のことはすべて任せっきりにしていました。妹の告別式の時も兄の指示に従って動いただけです。初七日も、そのつもりでいました。
ところがその兄がきょうはいないのです。僕も大変だと思いましたが、母親はとてもパニックに陥っていたようです。男の要は兄で、女の要は兄嫁です。その要が2人ともいなくなるのですから当然です。
さて、今日は兄がいないので大変ではありましたが、何とか切り抜けることができました。三男の弟にもいろいろ手つだってもらいました。
さて、妹の初七日、兄嫁の父親の告別式に加えて今日は台風の接近です。
おまけに、兄嫁の実家は古宇利島です。今は古宇利大橋がかかっていて、つながっていますが、離れ島の一つです。
初七日で集まっているときに、古宇利大橋が台風接近のため、通行禁止になったという知らせを聞きました。
告別式は本島内の施設でおこなわれます。その後お骨を古宇利島まで持って行かなければなりません。どうするのだろうか、とみなで心配していました。
兄にとっては妹の死、舅の死、そして台風接近という大変なことが三つも重なってしまったのです。
ぼくらは塾のことも心配だったので、早めに帰ってきました。あとで弟から電話がありました。
兄たちが古宇利島へ渡ることを特別に許可してもらったそうです。詳しいことはまだ知りません。
兄も何とか告別式を無事終わることができたのだと思います。
さて、昨日、兄嫁の父親が亡くなりました。ぼくもとても親しくしていました。やさしい方でした。90歳を越えるので、天命をまっとうしたとはいえるでしょう。
さて、僕の兄にとっては二人ともかなり近い人です。その妹と舅が1週間もしないうちに亡くなったのですから大変です。
今日は兄嫁の父親の告別式です。兄にとっては、妹の初七日と舅の告別式が重なってしまったのです。大変な1日です。告別式の方が重大なのでそちらに行くことになりました。もちろんのことです。
ふだんならぼくらも兄嫁の父親の告別式に駆けつけなければいけないのですが、妹の初七日を優先させました。
さて長男である兄に、僕は家のことはすべて任せっきりにしていました。妹の告別式の時も兄の指示に従って動いただけです。初七日も、そのつもりでいました。
ところがその兄がきょうはいないのです。僕も大変だと思いましたが、母親はとてもパニックに陥っていたようです。男の要は兄で、女の要は兄嫁です。その要が2人ともいなくなるのですから当然です。
さて、今日は兄がいないので大変ではありましたが、何とか切り抜けることができました。三男の弟にもいろいろ手つだってもらいました。
さて、妹の初七日、兄嫁の父親の告別式に加えて今日は台風の接近です。
おまけに、兄嫁の実家は古宇利島です。今は古宇利大橋がかかっていて、つながっていますが、離れ島の一つです。
初七日で集まっているときに、古宇利大橋が台風接近のため、通行禁止になったという知らせを聞きました。
告別式は本島内の施設でおこなわれます。その後お骨を古宇利島まで持って行かなければなりません。どうするのだろうか、とみなで心配していました。
兄にとっては妹の死、舅の死、そして台風接近という大変なことが三つも重なってしまったのです。
ぼくらは塾のことも心配だったので、早めに帰ってきました。あとで弟から電話がありました。
兄たちが古宇利島へ渡ることを特別に許可してもらったそうです。詳しいことはまだ知りません。
兄も何とか告別式を無事終わることができたのだと思います。
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