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光武帝も官僚嫌いだった
 宮城谷昌光「三国志2巻」のp115から引用します。

 さて、この年の十二月に奇妙な叙任があった。
 梁冀(りょうき)の弟である梁不疑(りょうふぎ)には馬(ば)という子があり、この梁馬が潁陰(えいいん)侯に封ぜられた。それだけではない。梁冀の子の梁胤にも子があり、名を桃(とう)というが、この梁桃も城父(じょうほ)侯に封ぜられたのである。

 梁馬はよいとしても、梁桃が列侯になったことをおどろかぬ人はなかったであろう。なぜならこの年に梁胤はニ十一歳であり、梁桃はようやく立って歩けるようになった幼児にすぎなかったからである。これが梁冀の恣檀(しせん)でなくてなんであろう。

 百僚みな眉をひそめたが、その叙任に異をとなえた者はひとりもいなかった。

 じつは後漢王朝の創業者である光武帝はこういう事態が生ずることを嫌い、官吏採用試験のなかの秀才{後漢では茂才(もさい)}を重視しなかった。

 いくら学問で優秀な成績をとっても、官吏となったかれらは、権力に迎合しやすく、争臣となりえないという事実を、前漢末、王莽(おうもう)が皇位を簒奪(さんだつ)するときに博識の高官たちが無抵抗であったことから知った。

 ゆえに光武帝は孝道を重視した。ほんとうに皇帝と王朝のために働くのは、儒学で頭をいっぱいにした官僚ではなく、学識では劣っていても親や目上の人を敬う心をもつ者たちだ。そのように選挙された者たちが官僚になっているはずであるのに、やはり梁冀の横放をとめられなかった。



 昔も今も、変らないのでしょうね。官僚は頭はいいが、権力に迎合しやすい。自分を守ることに懸命で、大局を見ようとしないのでしょう。

 ぼくは、官僚については、テレビなどで見るくらいしか知らないので、これ以上無責任な発言はやめておきます。


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