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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

ウチナーンチュは老子的、ヤマトゥンチュは孔子的
 テレビで先日、だいぶ前に録画しておいた「天平の甍」をみました。

天平の甍

天平年間、日本仏教界の確立のために黄土に渡った四人の日本人青年僧の青春と、唐の高僧、鑒真和上の二十年の歳月をかけて渡日に成功するまでの苦難の道を描く。井上靖の同名の小説の映画化


 テレビの中で流れる会話で、きちんと記録してないのですが、その中で、中国の皇帝が、仏教のお坊さんと一緒に道教の師を日本に連れていくようにいます。

どう‐きょう〔ダウケウ〕【道教】
中国、古代の民間信仰を基盤とし、不老長生・現世利益を主たる目的として自然発生的に生まれた宗教。のち、仏教への対抗上、神仙説など道家の思想、および仏教の教理儀礼が取り入れられた。5世紀前半、北魏の寇謙之(こうけんし)が教祖を黄帝・老子とし、張道陵を開祖として道教教団を形成した例もあるが、多くは民間信仰として発展。



日本に骨を埋めた鑑真

鑑真の時代の皇帝は玄宗皇帝で道教の狂信者でした。



 しかし、当時日本では道教は禁じられていました。だから、道教の師を連れていくことは国禁を犯すことになります。それで、・・・ということでいろいろドラマが進みます。

 さて、これを聞きながら、ぼくの頭の中に、ある仮設が浮かびました。単なる思いつきです。あまり重大にとらないでください。

 それは、沖縄の人(ウチナーンチュ)と本土の人(ヤマトゥンチュ)の性格の違いは、道教の有無にあるのではないか、ということです。

日本では道教は禁じられていたのです。しかし、沖縄には道教は入ってきています。


琉球王国 道教

琉球に道教が伝来した正確な時期を示す文献はないが、1719年に来琉した冊封使・徐葆光の『中山伝信録』の中に、道教の竈祭(かまどの神を祝う祭)が行われていたとの記述があることから、18世紀初頭には道教が信仰されていた事実を確認できる。その後、道教は琉球土着の民間信仰と融合して、婦女子の間で広く信仰された。



石敢當(いしがんとう)

さて、僕は道教については全く知りません。沖縄にある石敢當などが道教から来ているということを聞いたことがあるくらいです。

 道教の思想は老子の教えだと言われています。老子が始めたわけではありません。道教を信じてる後生の人が老子を持ち出したと僕は思っています。

ろうし〔ラウシ〕【老子】
中国、春秋戦国時代の楚の思想家。姓は李、名は耳(じ)。字(あざな)は伯陽。諡号(しごう)は(たん)。儒教の人為的な道徳・学問を否定し、無為自然の道を説いた。現存の「老子」の著者といわれ、周の衰微をみて西方へ去ったとされるが、疑問も多い。後世、道教で尊崇され、太上老君として神格化された。生没年未詳。老。



 それでも、道教に老子の思想がある程度は取り入れられているのではないでしょうか。

 老子については関心があり、いくつか本を読んだことがあります。それで少しは知っているつもりです。

 さて、日本では道教は禁じられていて、その代りに仏教と儒教が盛んになりました。

 儒教的考え方が日本の思想、文化を作ったといえます。儒教はご存じのとおりに孔子の教えです。

 さて、つまり僕が言いたいのは

 日本本土の文化は儒教が基礎になっていて、沖縄の文化は道教の教えが基礎になっているのではないかということです。ここで道教の教えは老子の教えとして考えていきます。

 そう考えると、何かとてもすっきりします。

 日本人はとても勤勉だと言われています。それは、孔子の教えがあったからではないでしょうか。

 孔子の教えというのは、勤勉で、まじめに、こつこつ学んで働く、という感じを受けます。まさに日本人的ではないでしょうか。

 それに対して老子は無為自然に生きる、なるようになるといった柔軟な生き方のように思います。これはまさに沖縄人的ではないでしょうか。

 最近本土の人にも有名になっている「なんくるないさ(どうにかなるさ)」というのは沖縄人の特質だと思います。

 そして「テーゲー(いい加減)」というのも沖縄人的です。

 このようなものは老子に通じるように思うのですが、どうでしょうか。

 道教に対しては無知で、孔子、老子も少しかじっただけの僕の考えた仮設でした。
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