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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

清水義範訳「般若心経」
 清水義範の短編に、「生臭心経」があります。「江勢物語」に収められています。

江勢(えせ)物語 (角川文庫)


 それは清水義範ふうの般若心経の解説です。

 まじめな解説の部分もありますし、清水義範独特の笑いもたくさんあります。
 その中から、般若心経の訳の部分だけを取り出して、並べてみました。できるだけ清水義範氏の書いた文をそのまま載せるようにしました。ただ、つなぎの部分で、少々手を加えたところもあります。

 もし、間違えたところがありましたら、それはぼくの責任です。ご指摘がなければありがたいです。

 正直言って、あまり理解できません。理解できたら悟ったということでしょうから、ぼくにはまだまだ無理ですね。

 これを、先週亡くなったおいの仲松庸吾にささげます。


偉大なる智慧の完成

観音という聖なる存在が、
深遠な智恵の完成を行っていた時,
存在の要素はすべて空だということを見極めた。

それでもって一切の苦や厄を取り除いた。

シャーリプトラ(人名)よ。
形あるものは実体のないものである。

すべて存在とは無である。

ないってことこそが、形あるものとして成立するのである。

物質は存在しないものであり、存在しないものは物質存在である。

感じたり、知ったり、考えたり、判断したりも、みーんな、実体のないものである。

シャーリプトラよ。
すべての存在は実体がないんだよ。

生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたということもなく、きよらかということもなく、増えることもなく、減ることもない

だからこの空のなか、つまりその、何もないということの中にはだね、形もなく、精神活動もなく、目も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香りも味も触も法(心の対象)もない。
何にもないのである。

眼で見る領域から、意識の領域にいたるまで、とにかくないのである。

悩みはない、それでもって悩みが尽きることもない。

老いも死もなく、老いと死がなくなることもない。

執着を捨てろ、執着を捨てれば、死はあるけれど、ないわけである。

すべては空である。

生は苦しみだという、苦の真理、
苦しみの原因が集まっているという、集の真理、
苦しみを断った平安の境地が理想だという、滅の真理、
その理想のために道を究めようという、道の真理、
そういう仏教の苦集滅道の真理もない。
智恵もなく、悟りに達することもない。

何も得られない。

求道者は、智恵の完成(般若波羅蜜多:はんにゃはらみた)によっているが故に、心に、覆うものがない

心に、覆うものがないから恐怖(おそれ)がない。

正しくものを見ることのできない迷い、間違ったものの見方とは遠く隔たっているんだ。

究極の涅槃(ねはん)、つまり永遠の平安、いっさいの迷いから脱した境地に入っているのである。

過去、現在、未来、そこにいるすべての仏たちは、智恵の完成によって、この上ない正しい仏の目覚め、正しい仏の悟りを得たのである。

ゆえに般若波羅蜜多を知らねばならぬ。

実はそれは大いなる呪、まじないの言葉である。

大いなる智恵の呪文 =真言である。

無上の呪文である。

比べるものがないくらいの呪文である。

一切の苦しみを取り除くことができ、偽りのない真実なのである。

ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディー スヴァーハー



般若心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時 
照見五蘊皆空 度一切苦厄
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 
受想行識亦復如是 
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 
無色声香味触法 無眼界乃至無意識界
無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽 
無苦集滅道  無智亦無得 
以無所得故菩提薩依般若波羅蜜多
故心無礙 無礙故無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 
究竟涅槃 三世諸仏依般若波羅蜜多 
故得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 
能除一切苦 真実不虚故 
説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提莎婆呵

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