FC2ブログ
セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

48年前のお礼に辺土名へ
 少年Sは、友人の少年Aを誘って、自転車による沖縄本島北部一周に、読谷を出ました。48年前の1964年春、その時少年Sは中学3年生でした。そのころの自転車はいまのようなギアがあるわけでもないし、軽くもありません。道路も今のように立派ではありません。

 迷って道なき道を進み、一泊目は野宿。辺土岬を回って、辺土名にたどりついた時に、2日目の夜を迎えました。寝る場所を探していると、映画館があります。その一隅ででも寝ようかと思っていると、映画館の人が声をかけました。

 事情を話すと、その人は、「盗みはしないだろうな」と冗談まじりに言いながら、自分の家に連れて行ってくれました。そして、自分の息子の部屋で一緒に寝か せてくれたのです。

 夜が白々と明けるころ、少年Sは目をさまし、少年Aに声をかけて、その家を去りました。

その少年Sも年を重ね、今では髪が真っ白です。酒の場で、時々その話をします。

 「あの時は子どもだったんだな。お礼もあいさつもせずに、逃げるように出てきたのだから」

「Sさんがいなくなって、家の人は何か盗まれたのではないかと、大騒ぎになったんじゃないかな」

 僕らはからかってそう言いました。

Sさんは、「今からでも、そのOさんにお礼を言いたいな」と語っています。Sさんは、その方の名前も覚えていました。

 それで、友人Yさんも誘って3人で辺土名に出かけました。その映画館はもうなくなり、現在教育委員会の建物が建っています。何とかそこにたどりつきました。

 近くの民家に行き、Oさんについて尋ねました。知ってはいましたが、もっと詳しい人がいるので紹介してあげようと、その方のところまで連れて行ってくれました。

 当時のことをとてもよく知っている方でした。親切にしてくれたOさんは、も うすでに亡くなっていました。少年SがOさんの息子だと思っていた人は養子でした。また奥さんとは離婚して本土に渡り、そこでOさんは亡くなったのです。Oさんは当時、映写技師をやっていました。

 あれからもう約半世紀。亡くなっている可能性もある、でも、もしそうなら、仏壇かお墓に線香でもあげたいと思っていました。しかし、それもかないません。

 それでも、そのOさんについて知ることができ、当時の話も伺うこともでき、今度の旅はよかった、と3人で語り合いながら帰路につきました。

 昔はのどかでした。いま見知らぬ中学生を泊めてくれる家が、どれだけあるでしょうか。

関連記事
スポンサーサイト




Comment

 秘密にする

Track Back
TB*URL

Copyright © セルフ塾のブログ. all rights reserved.