セルフ塾の近くに掩体壕(えんたいごう)があります。
先日、その前を通ったので写真を写してきました。
その説明板の全文が次のページにあったので、それも貼り付けておきます。
住宅地のはずれに静かに存在します。
飛行場の跡地も最近どんどん変わってきます。この掩体壕はこの地が飛行場をだったということをことの証として、今後重要になるでしょう。


空港探索・2
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/yomitan-airfield
読谷村指定文化財 史跡(沖縄戦に関する遺跡)
より大きな地図で えんたいごう を表示
先日、その前を通ったので写真を写してきました。
その説明板の全文が次のページにあったので、それも貼り付けておきます。
住宅地のはずれに静かに存在します。
飛行場の跡地も最近どんどん変わってきます。この掩体壕はこの地が飛行場をだったということをことの証として、今後重要になるでしょう。


空港探索・2
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読谷村指定文化財 史跡(沖縄戦に関する遺跡)
掩体壕(えんたいごう)
掩体壕は、旧日本軍による沖縄北飛行場(読谷山飛行場)建設に伴い、1944年(昭和19)に軍用機を敵の攻撃から保護する施設として建設されました。
証言 によると、ドラム缶や土などでかまぼこ形の原型を作った上にコンクリートを流し、十分乾燥したところで中の原型を取り出すという方法で作られました。
読谷山飛行場は、1945年(昭和20)4月1日の米軍上陸の際に接収され、逆に本土への攻撃基地として使用されました。
その後、嘉手納基地の完成によって補 助飛行場となり、パラシュート降下訓練などが行われ、訓練兵が住宅地に降下するなどの事故が周辺で多発しました。
2006年(平成18)12月31日に全 面返還され、今後数十年かけて飛行場の敷地は整備され、その姿を変えていきます。
掩体壕はこの地が旧日本軍の飛行場であったという史実を伝えるとともに、 沖縄戦以後の読谷の歴史を見つめ続けた貴重な遺跡・建造物であることから、村では2009年(平成21)1月、史跡(沖縄戦に関する遺跡)に指定しまし た。
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