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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

共通語として、日本語標準語
数日前の琉球新報 声の欄 に、大城次政氏の「島言葉と共通語」が載っていました。

 その中の一節

 沖縄工業は全島から入学してくるので、私たちのクラス電気科は、40人中半数以上が 宮古 八重山 久米島 伊平屋などの離島出身でした。 方言の会話が まったく通じないことから、必要不可欠の思いで、本当に苦手な 共通語を使ったことがなつかしく思います。



 が面白いと思いました。

 色んな国の人々があつまった場所では、それぞれの人々にとっては 外国語である 英語が 共通語としてコミュニケーションをとっている、という話はよく聞きます。

 東日本大震災での外国からのボランティアの人たちは、おたがいに苦手な英語を使っているということでした。

 琉球語は、本土の言語とは かなりちがいます。

 しかし、琉球の言葉はひとつではありません。

 僕は大学を卒業した後 宮古で3年間働きました。宮古の言葉は首里の言葉とは まったく異なります。

 なんとか簡単な会話は聞き取ることができるようになりましたが、話すことはまったくダメでした。

 また 沖縄本島の中でも地域によって方言がかなり異なります。

 山原(北部)のことばは かなり独特で 簡単にはわかりません。「はひふへほ」が「ぱぴぷぺぽ」になります。

 だから、沖縄の色んな地域から集まると、自分の地域の方言が通じないので、共通語として日本語標準語が使われたのですね。

 そのことを 妻と話すと、彼女が言いました。

 だから、山原(北部)の人は早めに共通語を使えるようになったけど、ここ中部の人は、大分後まで方言を中心に使っていたのよ。

 北部の人は、那覇や首里に出ると、自分たちの言葉がなかなか通じないことに気づかされるのです。それで、方言をやめて共通語を使う努力をしたのです。

 また首里や那覇は色んな意味で中央です。教育的意識も高かったと考えられます。

 当時の 方言撲滅、共通語励行の運動に 乗って、方言をやめて共通語を使うようになったのです。

 ところが 中部あたりの人は 那覇 首里に出ても、 特に苦労することなく 方言が通じたのです。

 それで共通語にしなければいけないという意識がひくかったのです。

 これは妻の考えです。真偽のほどはどうでしょうか。
 このあたりの 歴史を調べても面白いだろうと思います。
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