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豊見城の ジョン万次郎碑
 昨日糸満市で法事があり、Kyokoと出かけました。

 その帰りに 豊見城の ジョン万次郎記念碑をみてきました。

 新聞で次の記事をだいぶ前に見て、知ったからです。

豊見城との縁、伝えたい ジョン万次郎碑建立 - 琉球新報 - 沖縄の新聞 ...

【豊見城】豊見城とゆかりのある日本開国の祖・ジョン万次郎を後世に伝えようと建立されたジョン万次郎記念碑の除幕式(沖縄ジョン万次郎会主催)が12日、豊見城市翁長で開かれた。約100人の関係者が見守る中、同会の大城盛昌会長、金城豊明豊見城市長ら7人が除幕し、建立を祝った。(以下略)



 あまり知られていないようですが、ジョン万次郎は、アメリカからの帰りに沖縄に上陸しているのです。

 上陸地である 糸満市大度の浜には、以前行きました。

 次のページをどうぞ。
ジョン万次郎上陸の地 糸満市大度浜


 ジョン万次郎は、糸満の大度に上陸した後、豊見城の 翁長に連れていかれ、そこで 軟禁状態になります。その翁長に、このジョン万次郎記念碑が立っているのです。

 りっぱな碑でした。
media-20130915.jpg


 次は記念碑にある説明です。次のページから借りました。
media-20130915 (1)


ジョン万次郎記念碑

ジョン万次郎記念碑 
 ジョン万次郎が、アメリカの帰りにこの地に滞在しました。
(1851年2月・旧暦1月)漂流でアメリカの捕鯨船ジョン・ハラウンド号に救助された万次郎は、アメリカの教育を受けました。時は鎖国時代です。その為帰国の手段に琉球を最初の地に選んだとされています。
摩文仁海岸に上陸薩摩藩の取り調べの後、首里王府により帰国まで豊見城村翁長に滞在を命ぜられました。
 日本開国の先駆者ジョン万次郎が翁長に滞在された史実と、人間味あふれる先代の行動に感謝し、この地に記念碑を建立する。
 平成二十二年九月十二日沖縄ジョン万次郎会 会長 大城盛昌




 その横に、ジョン万次郎の年譜があります。その琉球の地での記述は次のとおりです。これは僕が写真を見ながら 文字にしました。

media-20130915 (2)



ジョン万次郎の年譜から

摩文仁間切大渡浜海岸に上陸 交番所で簡単な調べがあり那覇へ送られる。
当時 那覇には英国人 宣教師 ベッテルハイムがいて、アメリカ帰りの万次郎たちと逢わせると 支障をきたす事情がある、と薩摩奉行の計らいで、にわかに那覇に入ることを禁じ、翁長村にひき返す。
  摩文仁番所より 琉球王府に要請があり 小禄親雲上 はじめ、数人の役人が取り調べをしたが、言葉の通じるベッテルハイムの監視役をつとめる板良敷朝忠が英語で聞き、 今までの経過の概略が判明した。
  琉球王府からは料理人までつけて泡盛も添えられたという。 軟禁状態ではあったものの 待遇は極めてよかった。 また部落(むら)の祭り にも参加し、夜は 若者たちと毛遊びなどで交流した。



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