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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

縄文時代と弥生時代の境目は 子どもと大人の境目のようにはっきりしない
 昨日は 「歴史においては、時代のはじめの年号を 覚えることが大切だよ。 そうすると いろいろな出来事の 位置づけもはっきりするから」 という話しをしました。

 「例えば 奈良時代は710年から 平安時代は794年から などなど。

 ただ、縄文時代と弥生時代、 そして古墳時代などの境は はっきりしていないよ、と付け加えました。

 奈良時代のはじめは 都が奈良、平城京に移った年、 平安時代のはじめは京都の 平安京に都がうつった年ということで、何年かはっきりしている。

 しかし、縄文時代と弥生時代は、何年に変わったということはなく、徐々に変わっていったんだよ」 という話しをしました。

 特に難しい概念でもないので、 みんなよく理解しているようではありましたが、何かいいたとえはないかな、と少し考えて
「水とお湯の違いのようなものだ。冷たいのは水で、熱いのはお湯と区別はあるけど、何度になったらお湯になるという、境目はきちんとはないだろう」と話しました。

 後で、もっといいたとえはなかったかな と考えました。

 そこで考えてついたのが次の通り。次はそれで話してみようかと思います。

 「あなたたちは、小学生になった年は分かるね。そして中学生になった年も。
 そして、今年合格したら、今年が高校生になる年になる。

 そのようなのは何年の何月ということで きちんとわかる。

 しかし、 子どもと大人の境目というのは はっきりしないね。

 あなたたちは、子どもかな、大人かな。

 お母さんは、ある時は、もう大人なんだから、もっとしっかりしないと、と言うけど、
 また、別の時には、子どもはそんなこと知らなくてもいいよ、と言ったりしないかな。

 あなたたちの年頃は子どもから大人に変わろうとしているときだね。

 縄文時代から弥生時代もそのようにはっきりしないときがあったんだよ。」

 このように話したら、はっきりと分かってくれるのではないでしょうか。

 法律的には、子どもの定義 大人の定義はあるようですが、子どもと大人の境目がはっきりしないのは、 子どもたちもすぐに理解してくれるでしょう。

 あるいは 1月と2月の境目はハッキリするが、 冬と春の境目がはっきりしないということの方が分かりやすいでしょうか。
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