巧は、主人公。中学1年生で、野球をやっている。天才ピッチャー。洋三は巧の祖父。昔は高校野球の監督。
洋三が巧に言う。
「何もできないんじゃのうて、野球以外のことを、何もやろうとしていないんじゃないんか」
「他のことなんて、必要ないだろう」
この子はそうして、こういう言いきり方をするのだろう。
洋三は、目の前の孫の顔を見つめていた。
他のことなんて、何も必要ない。そんな台詞を13,4の子が、こともなげに言いきる。力強くも潔くも聞こえるけれど、違う。聞こえるだけで実は、ひどく危ういものなのだ。
巧、おまえ、いつか、その台詞に追いこまれるぞ。
(中略)
「おまえ、世の中に、どんなものがあるか知っとるんか。自分が何ができるんか。何ができないんか。何一つはっきりわかってないじゃろうが。そこをちゃんと知った上で、それでも野球をやろうとする者だけがな、自分の野球を選んだと言えるんじゃ、あんまり自分を過信するなよ」
子どもを指導するときに、夢を持ちなさいといいます。夢がないからやる気にならないのではないか、という人もいます。
確かにそういう面はあるでしょう。
しかし、ぼくは中学生が「将来、○○になります」と言いきるときに、
それでいいのかな、と思うことがあります。
特に工業、商業、高専などに進もうとしている子に不安を感じます。
自分のことを知っているのか。これから進もうとするところを知っているのか。その他のことを知っているのか。その他の中に自分にあっているものがないのか。
普通高校に進む場合、それを考える時間が3年間は延びます。
中学生に、これらのことが分かるのか。
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