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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

読解と解釈と鑑賞の違い
 日頃ぼくが考えていることを,「やさしい国語読解力」にうまくまとめてあるので,抜粋します。
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-373.html

 読解と解釈と鑑賞の違い。

 読解というのは与えられた文章から確実に言えることを正確に読みとること。だから読解は客観的なもので,正しい読解と間違った読解がある。

(中略)

 正しい読解から想像できること,推定できること,それが解釈。だから解釈の幅は読解よりも広くなる。それに間違った解釈というのも存在する。

(中略)

「3人の息子かあ,女の子もいればよかったのにね」これは鑑賞。もうこれは完全に個人の感想。感想だから当然いい悪いはない。もし間違った感想なんてのがあれば,それは間違った感想ではなくて,間違った読解あるいは間違った解釈のあげくに抱いてしまった感想というのが正しい。

(中略)

 入試問題などに文章が採用された作家たちが言っている「ぼくの作品をどのように受け取ってもらうのも読者の自由なのだから,○×をつけるのはやめてほしい」
 これ,実は正しくない。何で正しくないかはもうわかるでしょ。そう,鑑賞,感想に関する部分,これについては個人の自由だから登場人物が行ったことについて「これはおかしい」とか「いや、よくやったよ」というのはアリ。でもね、本当は中学生だった主人公を高校生だと読み間違えていたり、死んでしまっているおばあさんを生きていると読み間違っていたりというのは明らかな間違い。
 作家や大学の先生たちというのは、当然自分自身は文章がうまく書けて読める人たちが多いから、まさかそんなところで読み間違う読者がいるなんて思いもしないんだろうね(ぼくはこの仕事をやっているおかげで、死んでいるはずの登場人物が生きていると読み取ってしまうような人さえ決して少なくないことを知っている)。


 星新一のショートショートに「おーい,でてこーい」というのがあります。中学生に読書として読ませています。

 簡単に紹介します。

 都会からあまりはなれていないある村

 直径1メートルぐらいの穴があった。のぞき込んでみたが,なかは暗くてなにも見えない。

「おーい,でてこーい」
 若者は穴にむかって叫んでみたが,底からはなんの反響もなかった。彼はつぎに,そばの石ころを拾って(中略)投げ込んだ。だが底からはやはり反響がなかった。

(穴はとても深そうなので,いろんなものを捨てます。原子炉のカス,不要になった機密書類,死体,汚物,古い日記,犯罪者の証拠物件)

 穴は捨てたいものは,なんでも引き受けてくれた。

 ある日,建築中のビルの高い鉄骨の上でひと仕事を終えた作業員が,ひと休みしていた。彼は頭の上で,
「おーい,でてこーい」
 と叫ぶ声を聞いた。(中略) 声のした方角から,小さな石ころが彼をかすめて落ちていった。(後略)

 ぼくは,生徒に質問します。
 「この村はその後,どうなるでしょう」

 その後のことはいっさい書いてありません。しかし,書かれていることをきちんと読みとって,推し量るとこれは明らかです。星新一さんもこれを読みとって,推し量ってこの話を楽しんで欲しいと思ったので,それを書いたはずです。

 それが解釈ですね。これは客観的です。正しい解釈は決まっています。

 しかし,それが分からない生徒は多い。だから,いろいろ質問して導いてあげるのです。
「この村に何があったの?」「最初の方で,ひとりの青年がその穴に何をした?」「その穴に人々は何をした?」「最後の方で,上から何かが聞こえたね。」

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