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読谷山花織復興のプロデューサー 曽根美津子(4)(全10回)
【楚辺、波平の古老らと、花織復興を模索、一部復興】

 与那嶺に断られた美津子は別をあたります。そして、楚辺と波平のお年寄りに協力を求めます。

 波平の上地ウシ(88歳)、知花カメ(85歳)、楚辺の松田ウシ(77歳)、比嘉ウト(73歳)、松田カマ(75歳)です。
 池原村長は、「村史」の中で「ここに名前をあげた方は、読谷花織の中興の祖としてその功績は永く伝えられてよいと思う」と書いています。

 ただし、この方たちも自分で花織を織ったことはありません。子どものころに、子守をしながら自分の祖母が花織を織っていたのを見たことがあるという程度です。

 また、上地ウシが若く、ハジチをしたときのことです。ハジチというのは女性が手にする刺青です。それをすると1週間くらい仕事ができません。それで友達といっしょに残波に遊びに行きました。その帰り、宇座の部落の東前宇座(アガリメーウザ)の屋敷でおばあさんが地機で織物をしていました。ウシはそれがおもしろくて、見入っていたのだそうです。

 そういう経験はありますが、実際に織ったことはありません。

 ただ、当時77歳だった松田ウシは、ティバナとグウシバナを若いころに織った経験がありました。

 花織の技法には、ヒャイバナ、グウシバナ、ティバナの3つがあります。

 ティバナ(手花)は、ティ(手)で織り込んで模様をつける技法、

 グウシバナは、グウシ(竹串)を使って模様をつける技法、

 ヒャイバナは、ヒャイ(綜絖)を使って模様をつける技法で、他の2つよりはるかに難しい技法です。

 それで、松田ウシにより、ティバナとグウシバナはいち早く復元されました。

 京子(当時中学1年)は、その頃母の美津子が花織の話をするのをよく聞いています。京子の家では夕食時にそれぞれがその日のできごとをよく話していました。京子の父曽根信一は高校の教員ですが、文化に関心が深く、「やちむん会」のたちあげにかかわり、初代会長をしました。「やちむん会」は、沖縄の焼き物の流出をふせぎ、失われつつある焼き物研究のための会でした。信一は、美津子の花織復興を強く推していました。

 そこで美津子は、きょうは楚辺に行って、おばあさんたちにポーポーをごちそうになりながらおしゃべりをしたよ、などと言いながら、花織復興の様子も話していたそうです。

 また、お年寄りが自宅に来て、母美津子といろいろ相談しているのをよく見かけたと、京子は語っています。

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