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読谷山花織復興のプロデューサー 曽根美津子(5)(全10回)
【美津子、琉球政府に支援を依頼】

 さて、池原村長の2月19日の日記には
「午前10時より、毛糸編物講習会 開講式挙行。労働局次長垣花恵三氏、婦人少年課長山城球さん 婦人会長曽根美津子出席18名の受講生によりきょうから1ヶ月間行われる」
 とあります。

 労働局というのは、琉球政府労働局のことです。そのころ沖縄は本土から切り離され、アメリカ軍の統治下にあり、県庁ではなく琉球政府だったのです。

 京子の話によると、美津子は労働局へもよく行って、花織復興のバックアップを依頼していたようです。
 「労働局長の仲松庸幸さんに会って・・・・」という話をよく聞きました。なお、仲松庸幸はぼくの父です。山城球さんは、ぼくの家にもいらしたことがあり、よく覚えています。

 「婦人会記念誌」に美津子は「政府の補助、村補助でそれこそ無から草分けして」と書いています。

 また、「対談」で、池原村長は、「県にお願いして、細々とではありますが補助金を出してくれましたよ」と語っています。「県」ではなく、「琉球政府」のことだと思われます。美津子などの働きで、琉球政府からも補助を得られたのです。

 京子は、母美津子に連れられて、南風原村にもよく行きました。南風原は琉球絣の産地として注目をあびていたのです。南風原の人々は、その訪問者に対して、最初のころは冷ややかでした。競争敵が技術を盗みに来たと思ったのでしょう。中学生の京子を連れて行ったのは、緩衝剤になると思ったからでしょうか。

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