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読谷山花織復興のプロデューサー 曽根美津子(6)(全10回)
【美津子と織物】

  美津子は、1926年、上原直治、カナの長女として、那覇に生まれます。
 次は、美津子の弟 徹(とおる)の話です。

 「父直治は警官(駐在)をしていて、よく異動があった。戦前、玉城村にいるとき、ぼくが小学3年のときだが、蚕を飼っていて、母親が糸をつむいで、地機で織物をしていたのを見た。ただ、自分の着物地を織る程度だった。

 また、ぼくが小学5,6年のころは、伯父の直実(なおざね)(父直治の兄)の家のすぐ隣に住んでいた。そこは反物を染める仕事をしていた。ぼくたちは洗濯屋と言っていたけど、洗濯だけではなく、染め物もやっていたのだろう。そして、それを干してきれいに畳んで、鹿児島と取引をしていたんだよね。染め物のための鍋があり、干場でよく遊んだ。姉の美津子もそれをよく見ていたと思う」

 美津子は、小さいころに、反物に接し、母親が織物をするのを見ていたのです。

 だから、それなりに織物の知識はあったのだと思われます。それで、花織をどのように織るのか、という相談をお年寄りとすることができたのではないでしょうか。

 ただ、自分で織った経験はないので、自分が花織を織って復興するというより、プロデューサー的に動いたのです。織物は好きで、自分で織ったものを着物に仕立ててよく着ていました。それは花織りではなく、平織りでした。花織りは数反織っただけです。

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