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読谷山花織復興のプロデューサー 曽根美津子 (7)(全10回)
【首里高校の先生方から教えを請う】

 さて、このようにしながら、花織の復興にむけてお年寄り方の試行錯誤が続きます。

 現在、花織を何年も織ってきた方に「花織の見本を見るだけで、織り方がわかると思いますか」と尋ねたことがあります。

 すると、「不可能です。私は半年の講習を受けたのですが、その後でも、どのようにするのか、その手順を忘れてしまうことがたびたびありました。見本を見るだけで復興した先輩方はすばらしいと思います」と語っていました。

 大変なご苦労があったと思われます。

 美津子は、首里高校染織科の末吉安久先生や祝嶺恭子先生のところにもよく教えを受けに通っています。

 池原村長は対談の中で「(曽根美津子さんには)首里高校にも何回も行ってもらいました。末吉安久先生とか森田先生とか祝嶺さんにも会ってもらいました。(祝嶺さんは)まだ若い先生で。南風原村の照屋の大城カメさんに原料の注文をしたり、いろいろ話をつけたりしてもらいました」と言っています。

 京子は、夕食時の談笑の中で、末吉安久氏や祝嶺恭子氏、大城志津子氏の名前が出たのを記憶しています。

 曽根信一は那覇高校や那覇商業で教員をしていて、那覇や首里にも知人が多かったようです。末吉安久氏や祝嶺恭子氏、大城志津子氏とも懇意にしていて、妻美津子を紹介していた可能性はかなり高いと思われます。

 また、座喜味にお住まいの島袋秀さん(数え97歳)に話をうかがったとき、戦前、末吉安久夫妻が島袋家に下宿していたことがあるとのこと。読谷村で教員をなさっていたそうです。そういう縁もあったのでしょう。

 ぼくは首里高校の出身で、末吉先生を遠くから見たことはあります。白髪の芸術家といった感じがしました。また、先生の息子安允(やすちか)は同級生で、いまでも親しくしています。高校生のころ、彼の家によく遊びにいきました。一度だけ安久先生が、ぼくらが集まっている部屋に顔を出したことがあります。息子をよろしく、というあいさつだけで、息子がうるさがって追い出してしまいました。今考えると、すばらしい先生とゆっくり話をするいい機会だったのに、と残念に思います

 「読谷村婦人会50周年記念誌」に、美津子は
「首里高校、工芸指導所、南風原の織物工場等を見て回り、織械の購入、材料の仕入れ、染色と忙しい思いをした」と書いています。
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