母が一緒に暮らしている長兄が家を建て替えることになり、その間、僕が母を読谷で預かっています。
母の元同僚のとの食事会や通院で那覇までよく連れて行きます。
母は88歳ですが、目も耳もいいです。歯も丈夫で食欲もあります。頭もしっかりしています。
ただ足腰が弱く、杖をつきながら亀の歩みで進みます。
杖だけではだめで、僕が手を引いてあげたり、壁、手すりなどに手を添えて歩かなければいけません。
そのような母と歩く時、人の優しさを感じます。
車を移動するために、僕が母から離れていると、必ず誰かが母の手を引いて歩いています。エレベーターのドアを開けて待ってくれる人もいます。
店員や病院の方などが多いのですが、そうでもない、たまたま近くにいた人もいます。元同僚も手を貸してくれます。年は母と同じくらいですが、足腰がしっかりしている方がいるのです。
弱い人がいると人間はそれを助けようという優しさが働くのですね。
僕も60歳を超え老人の仲間に入りつつあります。でもまだまだ足腰もしっかりしていて、歩くのに不自由はしません。僕に優しくしようとする人はいません。
だからそのような人間の優しさを僕は一人の時には感じることはありませんでした。
人間は全て優しいのか、日本人だからか、沖縄の人だからか、は知らないのですが。
母の元同僚のとの食事会や通院で那覇までよく連れて行きます。
母は88歳ですが、目も耳もいいです。歯も丈夫で食欲もあります。頭もしっかりしています。
ただ足腰が弱く、杖をつきながら亀の歩みで進みます。
杖だけではだめで、僕が手を引いてあげたり、壁、手すりなどに手を添えて歩かなければいけません。
そのような母と歩く時、人の優しさを感じます。
車を移動するために、僕が母から離れていると、必ず誰かが母の手を引いて歩いています。エレベーターのドアを開けて待ってくれる人もいます。
店員や病院の方などが多いのですが、そうでもない、たまたま近くにいた人もいます。元同僚も手を貸してくれます。年は母と同じくらいですが、足腰がしっかりしている方がいるのです。
弱い人がいると人間はそれを助けようという優しさが働くのですね。
僕も60歳を超え老人の仲間に入りつつあります。でもまだまだ足腰もしっかりしていて、歩くのに不自由はしません。僕に優しくしようとする人はいません。
だからそのような人間の優しさを僕は一人の時には感じることはありませんでした。
人間は全て優しいのか、日本人だからか、沖縄の人だからか、は知らないのですが。
- 関連記事
-
- 就職を断りました (2016/08/03)
- ペットボトルのエコクーラー作ってみました (2016/07/28)
- 母と歩くようになり人の優しさを知る (2016/07/25)
- 牛乳パックでステッキ立て (2016/07/08)
- 母と同居して生活が変わる (2016/06/30)
スポンサーサイト
Comment
Track Back
TB*URL |
| ホーム |