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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

エンゲルス「自由は必然の認識」
「日本語力と英語力」の中で齋藤孝氏は次のように言っています。

(孝)
 私たちの上の世代というのは、「自由」を声高に叫びながら、その実、自由に対する認識自体は甘かったと思うのですね。自由に関して私ははっきりした考えをもっています。自由とはつまり使える技が多いということ。なぜなら、この世を生きていく上において、技があれば自由に活動ができます。いろいろな仕事ができます。逆に、技のない人に自由はないんですよ。(p33 )

 「私たちの上の世代」とは,ぼくらのことでしょうか。
 まあ,それはいいとして,ぼくは似たようなことを以前から思っています。

 ぼくの好きな言葉はエンゲルスの「自由は必然の認識」です。

 エンゲルスは,マルクスといっしょに科学的社会主義をうちたてた人物です。

エンゲルス

 彼ら(マルクスとエンゲルス)は,社会を科学的にみようとしました。そして,社会の動き,歴史は必然であると考えました。そして,その必然性を知ることによって,自分でその社会を変えることができると考えたのです。だから,必然を認識することが自由になるということになります。

 長くなりますが,エンゲルス著「反デューリング論」{大月書店刊「マルクス=エンゲルス8巻選集,第6巻 p120 )から引用します。ぼくの持っている本は廃刊になっているようなので,今手に入る「 反デューリング論」のURLを以下に貼ります。



 へーゲルは、自由と必然性の関係をはじめて正しく述べた人である。

彼にとっては、自由とは必然性の洞察である。

「必然性が盲目なのは、それが理解されないかぎりにおいてのみである。」

自由は、夢想のうちで自然法則から独立する点にあるのではなく、これらの法則を認識すること、そしてそれによって、これらの法則を特定の目的のために計画的に作用させる可能性を得ることにある。


これは、外的自然の法則にも、また人間そのものの肉体的および精神的存在を規制する法則にも、そのどちらにもあてはまることである。

・・・この二部類の法則は、せいぜいわれわれの概念のなかでだけたがいに分離できるのであって、現実には分離できないものである。

したがって、意志の自由とは、事柄についての知識をもって決定をおこなう能力をさすものにほかならない。

だから、ある特定の問題点についてのある人の判断がより自由であればあるほど、この判断の内容はそれだけ大きな必然性をもって規定されているわけである。

他方、無知にもとづく不確実さは、異なった、相矛盾する多くの可能な決定のうちから、外見上気ままに選択するように見えても、まさにそのことによって、みずからの不自由を、すなわち、それが支配するはずの当の対象にみずから支配されていることを、証明するのである。

だから、自由とは、自然的必然性の認識にもとづいて、われわれ自身ならびに外的自然を支配することである。

したがって、自由は、必然的に歴史的発展の産物である。

動物界から分離したばかりの最初の人間は、すべての本質的な点で動物そのものと同じように不自由であった。

しかし、あらゆる文化上の進歩は、どれも自由への歩みであった。

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