決定論者であるぼくは,偶然というのは,必然を知らないことだと思っています。
例えば,ある場所で旧友に出会ったとき「やあ,偶然ですね。こんなところで出会うとは」などと言います。
でも,こういうことを想定してみましょう。
Aさんの奥さんが料理をしていました。料理のときに,砂糖が足りないことに気付き,Aさんに「スーパーに行って砂糖を買ってきて」と頼みました。日頃はスーパーに行くことはないのですが,奥さんの言いつけです。素直に「は~い」と言って出かけました。
さて,Bさん。奥さんは近所の奥さん仲間と外食。子どももいるのでBさんが食事を作ることになり,スーパーに出かけます。
Aさんの状況もBさんの状況も知ることのできる第三者がいたとしましょう。その人にすれば,AさんとBさんがスーパーで出会うというのは,なんら偶然ではないのです。
Aさんにすれば,Bさんがスーパーに来ることを知らなかったために,「やあ,偶然ですね」と思う。逆もまた同じです。
しかし,それは,Bさんが来るという必然性を知らなかっただけなのです。知っていれば「偶然」とは言いません。
科学の進歩というのは知らなかったことを知るようになることですね。つまり,必然の領域を増やすことなのです。
ぼくももちろんすべてを知っているわけではありません。だから,ぼくのまわりは偶然だらけです。
いまふと思い出したのですが,宅配便では,追跡システムというのがあります。
本を注文する。すると,注文番号が知らされます。そして,その宅配便の追跡システムにアクセスしてその番号を入れると,本がどこまで来ているのか,分かるのです。今までいつ来るのかなと思っていたのが,そろそろ投函されるな,ということが分かるようになります。まだまだ粗いのですがねl
これも徐々に必然性の領域を増やしているということでしょう。
例えば,ある場所で旧友に出会ったとき「やあ,偶然ですね。こんなところで出会うとは」などと言います。
でも,こういうことを想定してみましょう。
Aさんの奥さんが料理をしていました。料理のときに,砂糖が足りないことに気付き,Aさんに「スーパーに行って砂糖を買ってきて」と頼みました。日頃はスーパーに行くことはないのですが,奥さんの言いつけです。素直に「は~い」と言って出かけました。
さて,Bさん。奥さんは近所の奥さん仲間と外食。子どももいるのでBさんが食事を作ることになり,スーパーに出かけます。
Aさんの状況もBさんの状況も知ることのできる第三者がいたとしましょう。その人にすれば,AさんとBさんがスーパーで出会うというのは,なんら偶然ではないのです。
Aさんにすれば,Bさんがスーパーに来ることを知らなかったために,「やあ,偶然ですね」と思う。逆もまた同じです。
しかし,それは,Bさんが来るという必然性を知らなかっただけなのです。知っていれば「偶然」とは言いません。
科学の進歩というのは知らなかったことを知るようになることですね。つまり,必然の領域を増やすことなのです。
ぼくももちろんすべてを知っているわけではありません。だから,ぼくのまわりは偶然だらけです。
いまふと思い出したのですが,宅配便では,追跡システムというのがあります。
本を注文する。すると,注文番号が知らされます。そして,その宅配便の追跡システムにアクセスしてその番号を入れると,本がどこまで来ているのか,分かるのです。今までいつ来るのかなと思っていたのが,そろそろ投函されるな,ということが分かるようになります。まだまだ粗いのですがねl
これも徐々に必然性の領域を増やしているということでしょう。
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