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市川力著「英語を子どもに教えるな」
 


 この本を読んで,これまでいろいろ誤解していたなあ,と反省しています。
 これまでも安易に子どもに英語を教えるより,日本語をきちんとして,と訴えてきました。とにかく自分の国語を大切にすることだと。英語を話せると確かにかっこいいし,外国人と話をして得をすることもあるでしょう。しかし,それよりも中身が大切だよ,と。

 でも,この本では,それだけではない面を見ました。たぶん多くの人はぼくと同じように誤解をしているのではないでしょうか。


● わが子に英語を習わせたいと考える親のほとんどが、自分が英語嫌いになったり、英語力を身につけられなかったりした原因は、自分の受けた学校英語教育にあったと考え、さらに、乳幼児期から英語を教わらなかったために、自然に英語力を獲得する機会を逸したと悔やんでいるのではないだろうか。



( はい,ぼくはそのように悔やんでいるところがありましたね。ただ,子どもができなかったから,それで子どもに英語を,とはいかなかったけど,いたらたぶん考えたでしょう )

● しかし、ここに「甘い幻想」が生まれる素地があることに気づかなければならない。たとえ母語とともに外国語を学習する能力が子どもに潜在的に備わっているとしても、「動機づけ」「適切な環境」「適切な方法」のすべてがそろっていなければ、バイリンガルとして育たないという認識が抜け落ちている。


( はい,抜け落ちていましたね。もっと簡単なものだと思っていました)

● 私は、アメリカで育った日本人駐在員の子どもたちとの関わりを通じて、英語環境の中にどっぷりつかることで、ネイティヴ並みの発音で日常会話はできるようになっても、なかなか十分な読み書き能力は身につかない、母語である日本語の力を育てるのが難しい、母語喪失のりスクを負ってまで獲得した英会話の力も日本に帰国して使う機会がなければみるみるうちに失われていく、といった事例に数多く接してきた。この経験から、いくら早い年齢から子どもに英語を教えたとしても、並大抵のことでは、母語・外国語ともに、「話しことば」だけでなく、「書きことば」でも優れた能力を発揮できる、バランスのとれたバイリンガルにはなれないことを痛感した。



( バイリンガルって大変なことなんだなあ,とつくづく思います。 英語だけでなく母語の日本語も難しい )

● 日常会話レベルを超えて英語を使いこなすようになるためには、ある時期にー定期間英語漬けになって相当の訓練をしなければならない。と同時に、言語の違いに関係なく、論理的に物事をとらえる力、相手にわかるようにきちんと説明する能力、そして説明に値する内容のすべてを備えていなければ、高度な語学力は身につかない。英語を使って読み、書き、聞き、話せるようになるためには、単に子どもの時から始めれば済むわけではなく、英語自体の訓練以上に、思考力を高めることと伝えたい内容を持つことが大切であることを、私はアメリカで英語を身につけた日本駐在員の子どもたちに教えられた。


( 「思考力を高めることと伝えたい内容を持つことが大切であること」については,そう思っていました。しかし,こんなにきびしいとは思わなかった )

● 「僕のことを帰国生だとわかると、僕の人格なんてまったく消えちゃうんですよ。帰国生だから英語がしゃべれるんだね。帰国生だとアメリカ人の友だちもいっぱいいるでしょう。帰国生は入試で優遇されるからラッキーだよね。自分の意見をはっきり言うなんてさすが帰国生だよね。すべてがこんな感じです。帰国生という環境に偶然生まれたことで、僕の人生が決まったとみんな思いたいんでしょうね」



( ぼくもそのような傾向がありますね。帰国生に知り合いはいないけど,外国に住んでいた人は数人知っています。英語使えるのは当然でしょう,という感じのことを言ったかもしれない。反省。反省 )


● 私は、多くの帰国生と出会ってきて、幸一君のようにサバイバルできた例は、一部に過ぎないことをまざまざと見せつけられてきた。幸一君とまったく同じような状況で育った子が、結局、英語もうまく使えるようにはならず、日本語も中途半端なまま日本に帰国し、それを恥じた親が、アメリカに駐在したことをひた隠しにしたというケースも多い。私の心の底には、うまく救い上げることができなかった子どもたちへの思いが沈んでいていつまでも消えることはない。


( 英語圏に数年住んだら,みんな話せるって思っていました。一部にすぎないんだ )

● 帰国生に対して、日本での教育体験しか持たない人たちは、自分にもあの環境さえ与えられていたら、英語もマスターでき、いい学歴を獲得するにも、就職するにも有利だったろう という感情をどうしても抱いてしまう。帰国生が外国で苦労したといっても、自分たちだって日本で苦労したという気持ちがある。海外駐在員の家族は、現地で優雅な生活を送り、1いい思いをたくさんしたのだから、同情する気にはなれないと理解を示そうとはしない。



( はい,まさにそういう気持ちを持っていました。いいなあ,というあこがれがありましたね )


道代さんのように、相手の期待する「帰国生らしさ」に見合うだけの英語力を持ち合わせていないと感じた時に、日本に戻ってから、わざわざ努力して、そのイメージに近づこうとする帰国生は多い。帰国生自身とそして彼らを取り巻く人々との共同作業によって、「帰国生らしさ」という幻影はますます強固になっていく。


( 人の期待にこたえたいという気持ちが起こるのは,とても理解できます。ただ,それができてうまくなった人はいいでしょうが,それに押しつぶされてしまう人もいるのでしょう。かわいそう。 )


● オーストラリアの言語学者ギボンズは、「遊び場言語」と「教室言語」との二種類の言語があることを示した。

「遊び場言語」とは、子どもが友だち同士で会話をしたり、一緒に遊んだりする時に使う「日常会話のための言語」である。目に見える具体的な場面で使用されることばなので、言語以外の、表情や動作、声色などの手がかりを利用できる。したがって、省略されたり、不正確な表現があっても、理解可能なのだ。

 それに対して、「教室言語」は、先生が教科内容を説明する際に用いる「教科理解のための言語」である。教科書に使われている「書きことば」はまさに「教室言語」だが、「話しことば」も、論理的な説明や議論、問題解決の筋道を説明する際に使われる。このことばは、抽象的な思考のために使われるので、言語以外の手がかりを利用することはできず、正しい語彙を用い、文法的にも正確に表現しない限り、相手には通じない。



( これは感じていました。そして現在行われている会話中心の英語教育は「遊び場言語」しかできないようにしてしまう。文法をきちんと教えましょう,というのは,そういう意味だと思います。 )


●「日常会話言語」を習得したしベルに甘んじてしまい、「教科理解言語」をないがしろにしたままだと、子どもは、日本語も英語も「教科理解言語」の面で不完全な状態、いわゆるセミリンガルになってしまう。子ども本人もそして親も「英語がぺらぺらになった」と思った時が、実は正念場なのであ る。

( セミリンガルって初めて聞きました。でも,一見するとセミリンガルをバイリンガルって見てしまうのでしょうね。でもどちらも不完全では,それからの人生,大変です。)

● 「せっかくアメリカに来たのだから、子どもに英語を身につけさせないで帰るのはもったいない」と安易に発言する親が多かった。しかし、それは、大人の自分勝手な発想に過ぎない。英語を身につけながら、日本語を維持することは並大抵のことではない。比較的低年齢からアメリカに来ているのに英語力の伸びが芳しくない場合や、日本でもあまり読書習慣がなく、豊かな日本語体験があったとはいえない場合、英語も日本語も両方ともセミリンガル状態になる可能性が高いので、まずは母語である日本語の力を養う指導に重点を置くべきであろう。

(同感です。この本を読んでさらに強く思うようになっています)
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