沖縄の金武での 日秀上人の足跡を訪ねる ツアーにS吉君からお誘いがありました。
日秀上人については次の通り。ウィキペディアからです。
日秀 (真言宗)
それでそのツアーに 参加しました。
首里高校の同期生5人と一期後輩1人の 合計6人のツアーです。
まず 日秀上人が流れ着いたと言う 金武の福花(ふっか)の 浜に行きました。 少し沖の方には 岩が並んでいます。

船がここに漂着したというイメージが浮かんできます。
近くには日秀上人が数日過ごしたという洞窟もあります。

その後 就労支援センター どりーむに寄りました。
ここにはS吉くんが作ったお地蔵様が備えられています。
そう、S吉君は陶工なのです。

そこから 日秀上人が 建立したと言われる 金武観音堂に。
そこにS吉君が寺に寄贈したという 梛の木が植わっていました。

梛(ナギ) | 梛の木について
S吉くんの家にも その梛の木がある そうですが、葉の形がなぜか違うと、彼はとても不思議そうにしています。
金武町観音堂を見物後、近くにある鍾乳洞へ。

彼の小説ではこの鍾乳洞に 大蛇がいて 村人を苦しめていて、それを日秀上人が 退治したことが書かれています。
そしてその洞の近くに観音堂を建立したとのこと。

S吉君はその辺りについてとても詳しく、色々説明をしてもらいながら見学しました。 有意義な一日でした。
その後は首里のふれあい居食家志乃ぶで、楽しく語らいあいました。
日秀上人については次の通り。ウィキペディアからです。
日秀 (真言宗)
S吉君はこの日秀上人の小説を書いています。 その原稿を読ませてもらいました。とても面白いです。1503年、加賀国または上野国に生まれる。
19歳の時、高野山で修行。
紀伊国の那智から補陀落渡海を行うが、琉球に漂着し現地の住人に保護される。のち、金武の富花津に観音寺を建立。琉球王国金武のフナヤ(富花港)に流れ着いた日秀は、金武にある鍾乳洞を拠点とし布教活動を行い、観音寺を創建したと伝えられる。
琉球において真言宗と熊野信仰を広め、波之上宮の再興や、弥陀・薬師・観音三像を作り護国寺に祀り、法力で妖怪を退治したという。現在の沖縄県浦添市の地名「経塚」もまた、日秀に由来すると伝わる。その他各地に日秀に関する伝承が残されている。
それでそのツアーに 参加しました。
首里高校の同期生5人と一期後輩1人の 合計6人のツアーです。
まず 日秀上人が流れ着いたと言う 金武の福花(ふっか)の 浜に行きました。 少し沖の方には 岩が並んでいます。

船がここに漂着したというイメージが浮かんできます。
近くには日秀上人が数日過ごしたという洞窟もあります。

その後 就労支援センター どりーむに寄りました。
ここにはS吉くんが作ったお地蔵様が備えられています。
そう、S吉君は陶工なのです。

そこから 日秀上人が 建立したと言われる 金武観音堂に。
そこにS吉君が寺に寄贈したという 梛の木が植わっていました。

梛(ナギ) | 梛の木について
熊野詣が盛んであった中世、参詣者は、熊野三山それぞれにて先達(せんだつ。熊野詣の案内人。山伏が務めました)から梛の葉を手渡されました。
S吉くんの家にも その梛の木がある そうですが、葉の形がなぜか違うと、彼はとても不思議そうにしています。
金武町観音堂を見物後、近くにある鍾乳洞へ。

彼の小説ではこの鍾乳洞に 大蛇がいて 村人を苦しめていて、それを日秀上人が 退治したことが書かれています。
そしてその洞の近くに観音堂を建立したとのこと。

S吉君はその辺りについてとても詳しく、色々説明をしてもらいながら見学しました。 有意義な一日でした。
その後は首里のふれあい居食家志乃ぶで、楽しく語らいあいました。
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