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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

タブラ‐ラサ
 きょうは「タブラ‐ラサ」について書きます。

 ヤフーの「大辞泉」で検索しました。

タブラ‐ラサ【(ラテン)tabula rasa】
《何も書かれていない書板の意》ロックの認識論での用語。生まれながらの人間の心には白紙のように生得観念はないという主張のたとえ。

 ようするに,タブラ‐ラサとは,白紙のことです。ロックは ホワイトペイパー としか書いていないがそれでは軽すぎるので,ラテン語のタブラ‐ラサが用いられるようになったというのを何か読んだ記憶があります。

 哲学的に話すときは「タブラ‐ラサ」と言うと,かっこいいですからね。

 ロックは経験論という立場にあります。人間は生まれたときは,何も書かれていない白紙のような状態である。生まれて後の経験がその白紙に書かれることによって,成長するというように考えたのです。だから,環境,学習を重視しました。

 心理学の行動主義を始めたワトソンは,その最たるものです。彼は、「私に心身共に健康な1ダースの赤ちゃんを与えてもらえれば、環境条件を調整して条件付けを駆使することによって、医師、弁護士、芸術家、大実業家、更には、乞食や泥棒にさえもしてみせよう」と書いています。

 心理学は確かにその流れをくんでいます。人間,生まれたときには差がない,その後の環境で差がついてくるのだという考えが大きいです。

 男女の差もそのようなものだと学生時代に教わりました。つまり,人形遊び,ままごとをするのは女の子で,男の子は体を動かすのが好きである。しかし,これは親やまわりの大人がそのような行動を期待しているからである,と。

 そのことに関しては文化人類学者のマーガレット・ミードの本の影響は大きかったです。彼女は,ニューギニアの原住民のある部族は,一般に考えられている男と女の役割が逆転していると述べています。つまり,男女の差というのは,生まれてあとの環境によるものということです。
 でもそのことはミードが間違えた報告をしたとして否定されているようです。

 また,親の職業と似た職業に子どもがつくことが多いが,それは親の姿を見たからだという説明がよくなされます。確かに親が文学が好きならその話はよくするので子どもも関心を持つようになるでしょう。本棚にもそれに関するのが多いでしょうから。
 一番のいい例は,金田一京助、春彦、秀穂,三代の国語学者です。彼らが国語学に関心をもったのは,その環境によるという説明を心理学ではやります。納得いく説明ではあります。

 また,政治家も二世,三世が多くなっています。芸能界も,スポーツ界もそうです。これも環境で説明がつきます。

 つまり,人間はタブララサで生まれてきて,その後それに何が書き込まれるかによって性格,能力が変わってくるということです。

 しかし,それに対して,脳科学者,遺伝学者などから心理学へ批判があるのです。

ヒトは先ず「愛してる!」と叫んだ?


 つづきは明日書きます。
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