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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

仙台・石巻 街道をゆく26
 

 この土曜日からの連休で東北旅行を計画しています。それで,この本の「仙台・石巻」の部分を読みました。

 国内旅行をするときは,司馬遼太郎の「街道をゆく」でその地域のものを読むように努めています。
 いつもながら,司馬遼太郎の博識には感心します。今度もいい勉強になりました。


 ここに出てくる井上さんは,作家の井上ひさしさんです。


「ところで」
のどの奥から、赤や青のシャボン玉が出てくるような、ふわりとした口ぶりで、このひとはいう。
「蔵王にいらっしゃったことがありますか」
「ないんです」
「それなら、行きましょう」
「しかし仙台に六時ですが」
「大丈夫なんです」
と、シャボン玉が舞いあがり、結局、山越えがはじまった。蔵王は想像以上に雄大な大山塊で、 車がのぼるにつれて天空に近づく思いがした。
山頂での井上さんはじつに閑々として行雲流水のふぜいだった。が、胸中はそうでもなかったろう。
これが奥州人の意気というものなのである。井上さんが「公私」の軽重を量り、「公」に殉じていることは、私にもうすうすわかっていた。
仙台で井上さんを待っている同級生たちはこの人にとって身内だから親であり、親なればこそ私である。それに対し、外来の人間である司馬ナニガシはより疎であり、しかも客であるために公になる。従って蔵王を越えることも公としての快挙であり、この公の前には、仙台で待つ「私ども」には我慢を強いねばならす、井上さんはそれについて万難の涙をのんでいる。その上での泰然自若なのである。

( なんかよく分かります。井上さんの気持ち。そしてそれを理解している司馬さん。いいですね。東北の人ってこういう人か。 いいな。 )


● 「山片蟻桃は、えらかったですな」
私は、石段をのぼりながら、藤谷氏にいった。蟻桃のような独創的な思想家が、あの窮屈な江戸社会のなかかち出たというのは、奇蹟のようなものである。
「なぜ幡桃というんですか」
 藤谷氏は、息を切らさない。
「番頭さんだったからです」
この号ひとつをみても、蟻桃がユーモリストだったことがわかる。しかも、当時の既成思想に対し、コペルニクス的な(語呂あわせのようだが、かれは地動説の論者でもあった)創見をのべつつも、社会のアウトサイダーでもなく、乱臣賊子でも無頼漠でもなかった。


( 以下,山片蟻桃のことが述べられています。ぼくは山片蟻桃という人をまったく知りませんでした。しかし,おもしろい人ですね。このような時代にこのような人が出ているとは。奇蹟のようなものというのも分かります。彼の著作「夢の代」,読んでみたいが・・・ )


● 松島は日本三景のひとつだという。
「しかし、どこがいいのかわかりませんよ」
と、たれもがいう。太宰治の『惜別』にも、主人公の魯迅が、この景色のよさを見つけるために悩むくだり・・・虚構ながら・・・がある。作者の太宰治自身、松島の美のわからなさに閉口していたのにちがいない。


( ぼくの知人も松島に行ったが,沖縄の方がずっといいよと述べていました。そんなものなんですね。名前が先行している。 でも,一度は見たいところです )


● それに、松島で情けなくおもうのは、ほうぼうの看板や説明用の掲示板に書かれている芭蕉作という俳句である。

松島や ああ松島や 松島や

落語の大家さんが、熊公を前にして作りそうな句で、おそらく、江戸期のたれであったか、明月のうつくしきに打たれて「明月や ああ明月や 明月や」と詠んだという噺のような句に、この「松島や」は踏まえられているのであろう。芭蕉もたまったものではない。
(中略)
そういう芭蕉が、

松島や ああ松島や 松島や

などとノンキなトウサンのような句をつくるだろうか。松島の観光にたずさわるひとたちは、いますこし芭蕉に対して粛然たる気持をもってやってほしいものである。


( ぼくは勉強不足でした。芭蕉の句だと思って疑いもしませんでした。改めて考えると落語の大屋さんのような句です。 )
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