自分の息子が体調不良なのに,無理して珠算塾に行った。そこで,集中力が足りないと殴られた,という話が書き込まれました。子どもの変化にもっと気づいて欲しいという意見です。
それに対して次のようなコメントを書き込みました。
ご意見もっともです。その珠算塾の講師の行動を擁護するつもりまったくありません。特にそういうことで殴るのは問題だと思います。
ただ,感じたことがあるので書き込みます。
岸見一郎著「アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ワニのNEW新書)」
を読みました。
アドラーは,言葉を重視しています。
他の人から自分の気持ちを察してもらったり,思いやられることを期待してはいけないということであり,黙っている限りは自分のおもいは 人に伝わらないということを意味します。(p164)
そもそも相手を理解することは不可能である,とアドラーは考えています。(p169)
このことに関してこの本にはおもしろいたとえ話が載っています。 ジョン・グレイの「ベストパートナーになるために」(三笠書房) にある話だそうです。
男性は火星人で女性は金星人であったという寓話があります。ある日、男性が望鏡鏡を覗いていたら美しい女性の姿が目にとまります。彼は思いきって声をかけました。思いがけずデートに応じた彼女とその後もデートを繰り返すようになります。この頃、二人は互いの考え方、感じ方に自分とは異なるものがあるのに気づきます。それはすぐには受け入れることのできないものですが、それでも二人は相手は異星人なのだから、こんなことがあって当然、と許し合うことができました。
やがて惑星空間内でのデートにも飽き、そろそろ落ち着きたいと考えた男性は女性にプロポーズし、めでたく結婚して地球に新居を構えます。
子どもが生まれます。実はこの頃から二人のコミュニケーションはギクシャクし始めます。生まれた子どもは何人でしょうか。そう、地球人ですね。そして自分たちも地球人だと思い始めるようになります。するとそれまで相手の考え方、感じ方に違和感があっても、相手は自分とは違う異星人だからと許せていたのに、同じ地球人なのになぜ同じように考えないのだろう、感じないのだろう、許せない、ということになるのです。初めはわからなくて当然と思っていて、わからないことを前提に逆にわかろうとする努力をしていたはずなのに・・・・・・
アドラーとかつて同僚だったフロイトはいろいろ人の心を解釈しました。自由連想や夢を分析して無意識の中を解釈しました。ぼくはそれに比べるとアドラーはいいと思います。人間は人間を理解することはできないと思った方がいいのです。
理解できないと思っているからこそ,相手を理解するように努めるし,そして理解してもらおうと努めるわけです。
気分が悪いときには,気分が悪いと言葉にすることが大切で,それを読みとってくださいと思ってはいけないと思います。
ぼくはあえて相手の変化を見ないようにすることもよくあります。子どもが気分悪そうにしていてもこちらからは声をかけないのです。
アドラー流に言えば,自分の気分が悪ければそれをどのように解決するかは,子どもの課題です。子どもの課題をこちらが肩代わりすることはない,という考えです。自分で切り開く力をつけて欲しいからです。
友人が「○○さん,気分が悪いって」
と来たときには,自分で来て言うように,伝えることもあります。○○さんの課題を友人が肩代わりするものではないと思うからです。
では,子どもが何も言ってこなければ,何もする必要はないかと言えばそうはいっていられません。
特にいじめの問題では,子どもは言葉に出して言えない状態にあります。子どもからの言葉にはならないサインを読みとることは大人にとって大切なことです。
それを子どもの課題としてしまってはいけないでしょう。子どもだけでは解決できない課題もある,それは大人の課題でもあると思います。
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いつもコメントありがとうございます。
ヒカリさんのこのコメントがぼくをとても勇気づけてくれます。
ヒカリさんはそういう意味でも言葉をうまく使っていると思います。
ヒカリさんのブログはいつもにぎやかですが,ヒカリさんのこのような働きかけがみんなを動かしているのですね。

日本は以心伝心の縦社会(といわれているよう)ですが、心理学のお話は参考になることしきりです。
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