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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

アフリカ分割、座喜味栄通り、普天間基地
 アフリカの地図を見ると、国境が東西または南北に直線に引かれている。 これは住民の意見を考えずに、ヨーロッパの人たちが 地図の上で線を引き、ここから向こうはあなたの国、こちら側は私たちの国にしよう、などと勝手に決めたからだ。そのために一つの民族が 別々の国に分断され、また違ういくつかの民族が一つの国民になった。それが 現在もアフリカで内戦が多い理由の一つだ。「アフリカ分割」と言う。

 僕が住む読谷村座喜味の集落の真ん中を、東西に一直線の車道が走っている。栄通りという。その通りの名は僕の舅が名付けたそうだ。公募があり、それに応募したら採用されたと生前語っていた。

 戦後かなりの間、座喜味の人達は 自分の集落に入ることができなかった。米軍がいて住民をいれなかったのだ。妻の両親も近くまでは来たのだが、座喜味の自分の家には戻れなかった。それで妻は家から離れたところで産まれた。戦後6年目の1951年のことだ。

 その住民が入れない間に、そこに住んでいた人のことはまったく考えずに米軍が勝手に東西に一直線の道を作った。以下はぼくの想像だが、車が通りやすいことだけを考え、ブルドーザーで家や畑をつぶしながらまっすぐに走ったのだろう。反対する住民はいないのだから、いくらでも勝手なことができる。

そのために家屋敷や畑の真ん中を道が通り、屋敷や畑は分断され、道の両側に小さな屋敷や畑ができた。わずかに残った土地は利用しにくいだろう。また班が分断され、その一部は飛び地になっているところもある。その補償があったのかどうかぼくは知らない。

 「アフリカ分割」とよく似ているではないか。
 アフリカでは国境で、座喜味では道路という違いはあるが、住んでいる人のことはまったく考えないで、別の国の人たちが勝手なことをするというところに共通するところがある。

 「普天間基地は田んぼのなかにあった。周りには何も無い。そこに商売になるということで住みだした」と発言する人がいる。しかし、普天間飛行場は、住民が収容所に入っているうちに、米軍が集落の点在する土地に建設したものだ。多くの住民は元の土地に戻れず、飛行場周辺の土地に住んだのである。

 それは座喜味の栄通りができた経緯に似ている。栄通りは、いまでも屋敷が分断されていることが見られ、米軍が勝手なことをしたという証拠として見ることができる。普天間基地の縮図を見る思いがする。



きょうの琉球新報に掲載されました。

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