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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

何かを教えても教わった方がそれを学んだとは限らない
 島宗理著「インストラクショナルデザイン 教師のためのルールブック」のp18~19を抜粋します。

 「インストラクション」とは,教育の広い意味で,「何らかの行動を引き出すたえの仕掛け」です。

 

「何かを教えても教わった方がそれを学んだとは限らない」

矛盾しているようだが、インストラクションの現場では日常茶飯事に起こっている現象だ。

 ・ 分数の授業はしているが、計算ができないままの子どもがいる。
 ・ スノーボード講習を受けたがうまく滑れない。
 ・ 交通違反をした人に事故の怖さを教えるビデオを見せるが、また違反して戻ってくる。

矛盾の原因は 《教える》というコトバと 《学ぶ》というコトバの関係にある。

ここだけの話・・・
《教える》=《学ぶ》ではない

 《教える》はインストラクションを与える《教え手》側のさまざまな行動や働きかけであり、《学ぶ》はインストラクションを受け取る《学び手》側の行動の変化である。両者はそもそも別物だから《教える》=《学ぶ》ではないのも当然と言えば当然なのだ。

もちろん、そんなことを堂々と言っていては《教える》ことがプロの仕事として認められない。だから、できるだけ《教える》=《学ぶ》になるように、それぞれが工夫することになっている。

この「ことになっている」というところがミソである。

 小学校の授業でも、ゲレンデのスノーボード講習でも、カルチャースクールの生け花教室でも、多くの場合、教え手は《教える》ことに責任は持っても《学ぶ》ことまでは保証していない。

学校では教科書通りに授業を進めて、何回か発問し、板書でもしていれば「教えた」ことになる。生徒の3人にひとりが落ちこばれていたとしても。カルチャースクールでもプログラム通りに講習会が終了すれば修了書がわたされる。参加者全員が目標に到達しなかったとしても。


 

 これまで書いてきたことですね。
 教師は,ある知識を伝えようとして話した。しかし,生徒の頭の中にはそれが入らなかった。知識は伝わらなかった。
 教えはしたが,学ばなかったということです。
 学ぶまでいかないと本当の教育にはなりません。教育をしたつもりということです。

 だから,私たちは生徒は私たちが伝えようとしたことをきちんと学んだかをいつも気にしなければいけないのです。

 なおこの
島宗理著「インストラクショナルデザイン 教師のためのルールブック」
 は,今行動分析の立場から書かれた数少ない教育書です。多くの方に読んでもらいたいです。



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