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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

教師として譲れない線
 mixi セルフラーニングに書き込んだコメントです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=35571828&comment_count=25&comm_id=1037793


 またまた,同じ箇所を「アドラー心理学入門」から,引用します。(p91~92)
ここで「私」は,もちろん著者の岸見一郎氏です。


 私は大学でギリシア語を教えています。毎年、教科書を選ぶのですが、ギリシア語については、私は専門家ですから、かりに学生が「先生、この教科書は練習問題が少ないですから、これを使いませんか?」と申し出ても、おそらく断るだろうと思います。学問的にも教育的にも学生にとって最善の教科書を選んでいるのですから専門家の私としては譲ることはできないのです。

 しかし、どんな仕方で講義をするかについては、学生と相談します。講義形式なのか、それとも、学生が発表するという演習形式にするのかは、学生との相談の上で決めてもいいと思います。教師と学生は「同じ」ではありませんが、人間としては「対等」なのです

 ※  ※  ※ 


 人間として「対等」な関係 ・・・ それについてはまったく同感です。ぼくも強調したいくらいです。

 もう一つの関係が書かれています。
 「教師と学生は『同じ』ではありません」
 「専門家の私としては譲ることはできない」
 「(学生の申し出を)おそらく断るだろうと思います」
  という言葉で表されている関係です。

 教師は,人間としては生徒と「対等」ですが,教える,教えられるという立場で言えば「同じ」ではないのです。
 教師はそれだけの知識,経験を持っています。持っているからこそ,それを持っていない生徒に教えることができるのです。
 知識を持っている教師と持っていない生徒は,同じではありません。そういう意味で,教師は生徒の上に立ちます。
 知識を持っているから人間的に偉いという意味では決してありません。

 そして,どの教科書を用いるかについては,生徒よりもよく知っています。だから教科書を選ぶことに関しては「譲ること」ができないのです。
 だから,申し出を「断る」こともできるのです。

 「譲ることができない」ということは,生徒との間で妥協点を見いだそうと話し合うことはありません。もし,話し合うような態度を見せるのであれば,偽善です。最初から「譲ることはできない」のですから。
 もちろん,生徒が納得するようにできるだけ話をすることは必要です。
 「ぼくはこの本をこうこういう理由で教科書に選んだ。だから,それを使うのです。理解して欲しい」と。

 でも,あくまでも教科書選びの決定権は教師が持っています。生徒にはその決定権はありません。それが「譲れない」ということです。

 決定権を持っている教師は,持っていない生徒の上に立ちます。だから上下関係にあるのです。もちろん,人間的にではありません。

 人間としての「対等な」関係と,教師,生徒の「同じでない」関係,それをきちんと理解して,使い分けることが大切ではないでしょうか。

 ぼくはここに引用した部分はそう解釈しました。 

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