清水さんはぼくの大好きな作家でほとんど読んでいます。
抜粋します。
言いたいことがないのに書かされる。しかも、家族は大切ですとか大人を安心させることを書かないといけない。子どもじゃなくても、そんなの面白いわけがない。
そう思わせるのは先生や親の指導のせいだ。けんかの作文を書くと、相手のいいところはないの?ってつい指導する。お父さんとお母さんのけんかを書くと、家の恥ずかしいところ書かないで、と言われる。だから子どもは作文には書いていいことと悪いことがあると思い込んでいる。いい子のふりをしたうその文章が作文なのだ。
思ったことを文章で伝えるために書くのが作文だ。お母さんのことがムカついたと書くなら、どんなことで、どうムカついたか分かるように書いてあるのがいい作文だ。道徳教育ではないんだ。
すごく面白かったと思えば、だれかに伝えたくなるのが普通だ。子どもが、聞いて、聞いて、とよく言うが、伝えたいからだ。それを伝えるのが作文なんだから、もともと嫌いではないはずだ。 伝えたいことが伝わったと思えばだれだって気持ちがいい。そんな快感を味わえば、文章はたちまち生き生きしてくる。偽善のイメージを取り払い、楽しんでいい、遊んでいい、笑わせてやれ、となればしめたものだ。
大切なのは、ほめるこだ。直すよりいいところ見っけてこれでいいだと思わせることだ。字の違いの指摘なんかもってのほかだ。
だが、ほめるのは実は難しい。全体的によかったねとか、頑張ったねとか態度をほめるのはだめだ。どこがどう良かったか、具体的に成果をほめないといけないから大変だ。先生も親も、二回くらいはじっくり読んで、作文にしっかり向き合ってほしい。ちゃんと伝わっていると思えるようほめることが大切だ。
セルフ塾では,小学生には,作文指導もしています。いま使っているテキストが民衆社の「国語大好き」。それには,作文のページがあるので,そのページをするときに,やるのです。
このテキストのいいところは,ただばくぜんと作文をさせるのではなく,ポイントがけっこうしっかりしていることです。
「中心ズバリの文」では,起こった順にではなく,いいたいことを先に書いたり,長く書くことを教えます。
また,小さいときの写真を貼り付けて,それについてお母さんから話を聞いて作文にするなど。
ぼくも,指導をするときは,偽善的なことではなく,おもしろくて話したいことを各様にすすめています。そこは清水さんにまったく同感です。ただ,子どもたちが本当にそのように書くよう指導することはできていません。難しいです。
石原千秋さんは,中学入試,高校入試に出題される国語読解の主人公はみな「いい子」だ,というようなことを書いていたと思います。
中学生の部では基本的に作文はありません。ただ,高校受験では作文があるので指導します。
漢字や語句の使い方を手直ししますね。ここに清水さんが書いてあることに関して(字の違いの指摘なんかもってのほかだ),もっともだとは思います。しかし,高校入試ではそこが減点の対象になるので,しかたないことだと思っています。
学習塾の場合には,目の前の高校入試にはどうしても合格させなければいけないので,・・・
なお,清水義範さんには,次のような本もあります。
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