mixiに書き込んだコメントです。
感覚には「閾値(いきち)」というのがあります。
例えば,コップの水にほんのちょっとだけ砂糖を入れて飲んでもらいます。
「何これ,ただの水じゃない」という反応。
さらに少し砂糖を加えます。「やはり水じゃない?」
そして,少し加えます。そのうちに
「あっ,甘いね。砂糖が入っているの?」とやっと気づくところがあります。
小さな声で呼んでも相手は振り向かない。少し大きな声でもだめ。そしてある程度の大きさになるとやっと気づいてくれる。
そういうことありますね。
実際には刺激はあるのですが気づかない。ある程度の大きさの刺激でないとそれに気づかないのです。その気づく値を閾値といいます。
さて
ぼくは,努力と成果にもそのような関係があるように感じています。
努力はしている。しかし,それがある点に達しないと成果に結びつかないことがあるように思うのです。
10の努力でやっと1の成果が出てくる。7,8,9と努力しているのだけれども,なかなかそれが成果としてあらわれてこないのです。
とくに学力の低い生徒に感じます。
例えば,中学1年の方程式
2x=4 は解けるようになった。
x-4=0 もできた
x+4=0 も
2x-4=0 も
というように,ひとつひとつのやり方はなんとかできるようになった。
しかし,テスト本番。どのパターンなのかを見分けきれず,すべて解けなかった。
そういうことってあるのです。パターンの見分け方を教えるべきですね。後でそう思います。ただ,ひとつ一つを教えるのにも時間がかかるので,そこまでいかない。
努力はしたのに成果に結びつかないことがあるのです。
そういう場合は,こちらでフォローしてあげなければいけないですね。努力してよくがんばったよ,と。
蒔かれた種は芽を出し,大きくなって花までは咲いたのだが,実はできなかった,というところでしょうか。
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