サドベリーの典型的な例をコピーします。少し長いのですが。サドベリーの考えがよく分かると思います。サドベリーの生徒の親ジョンが学校に相談にきた場面です。
ジョン「だって、息子のダンときたら、ここに来て毎日、釣りばかりでしょう?」
わたし「その、どこがいけないのですか。」
ジョン「一日いっぱい、それも連日ですよ。秋から冬、冬から春。とにかく、釣りばかりじゃないですか・・・」
わたしは黙ってジョンの顔を見つめ、ぼやきの続きを待ちます。ここから、いよいよ本題に入るわけです。
ジョン「わたしが心配なのは、要するにダンが何にも勉強してないことなんです。このまま行ったら、何ひとつモノを知らずに大人になってしまうんじゃないか、と」
ここで、わたしの短い演説の出番です。ジョンも、どうせそう言われると分かっていて相談に来ているのです。心配を打ち消す、わたしの言葉を待っているのです。わたしは、こう説得します。
「なーに、心配いりませんよ。ダンは何も勉強していないんじゃなくて、その逆です。ダンはわたしの知るかぎり、ほかのだれよりも魚に詳しい。すくなくとも同年齢の子どもには絶対、負けないだけの知識を持っている。魚の種類からそのすみか、行動の特性、生態、そして魚たちの好き嫌いと、魚のことなら何でも知っている。だから将来、立派な漁師になるかもしれませんよ。釣りのエキスパートになって、新しい『釣魚大全』を書くことになるかもしれないじゃないですか・・・・・」
わたしの「雄弁」も、こうなるとちょっと悪のり。さすがのジョンも、いやな顔をしています。感情をごまかせない性質なのです。息子が釣りの権威になるかも知れないって? そんなこと、信じられるわけがないじゃない・・・・・。
ムッと来ているジョンに向かって、わたしはさらに言葉を継ぎます。わたしの話も、これからが本論なのです。
「わたしの見るところ、ダンはほかにもいろいろ、大事なことを学んでいます。まず第一に、どうすればひとつの物事をしっかり掴み、投げ出さずにすむか。第二に、欲求の度合いがどうあれ、あるいはその導く先が何処であろうと、自分がほんとうに興味を持つことを存分に追い求めることができる自由の大切さを学んだこと。そして最後に、自分がどうすればハッピーでいられるか、ダンは知っている・・・・・」。
実際、ダンはサドベリー・バレー校で最も幸せな子どもだったのです。いつもニコニコ笑っている子でした。顔ばかりでなく、ハートがスマイルしているのです。年上の子も年下の子も、男の子も女の子も、みんなダンのことが大好きでした。
さて、わたしの演説も、そろそろ終わりに近づいています。わたしはジョンに向かって、はっきりこう告げます。
「ダンが学んでいることを奪い去る権利は、だれにもないんですよ」
そして、こう締めくくります。
「いつの日か、あるいはいつの年にか、釣りに対する関心がなくなれば、こんどは釣りに注いだと同じ努力を次ぎの関心事に向けるはず。だから、もう心配しないで下さい」
この言葉を聞きおえると、ジョンはおもむろに立ち上がり、温かな「サンキュー」のー言を言い残して、帰っていくのです。そして、一年後にまた、同じ言葉が聞きたくてやって来る。ただし、ジョンの奥さんのドーンは、一緒に付いてきたことがありません。彼女はサドベリー・バレー校に満足していたのです。なぜなら、ダンという、喜びを発散しながら育つ、元気な男の子を持てたのですから。
こんなパターンの繰り返しのあと、それまで毎年、相談に来ていたジョンが顔を見せなくなりました。息子のダンが釣りを卒業したのです。
十五歳になってダンは、コンピューターに夢中になりました。一年経つと、地元のコンピューター会社のサービス・エキスパー卜としてアルバイトをするまでになったのです。
十七歳ではなんと、友だちと二人でコンピューターの販売・サービスを行う会社を起こしてしまいました。十八歳でサドベリー・バレー校を巣立った彼は、コンピューターをもっと勉強するため大学に進みました。大学在学中も、コンビューターのエキスパー卜として働きながら学費を稼いだのです。
(以下略)
みなさんはこれを読んでどう思われますか。ぼくの感想,考えは後ほど書きます。
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