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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

機械の一部になるための教育


 サドベリー校について考えを進めます。p8~11を抜粋します。序文で,ここにこの学校の教育の根本思想があると思います。
 ぼくの考えは後で書きます。

 (産業革命以前)
 六歳の子は、立派な羊飼いになりたかった。そのためにはどうしたらいいか、学ぼうとした。それが自分の属するコミュニティーの、一人前の大人になることだったからです。

(中略)

  当時は大人の視野のなかで、子どもたちは常に、人と見なされていたのです。

 これに対して<教授>は、一握りの特権層のため、人びとがそれを適当と思う特別の科目のために維持されたものです。
 この点についてアリストテレスは、はっきりこう言っています。わたしたちがいう「文化」とは余暇の産物である、と。
余暇を持つ人びとはーーつまり特権層のことですが・・・、わたしたちのいう「文化的追求」を楽しめるだけの時間を持つ人びとだったわけです。

(中略)

 産業革命は、ある(可能性)を生み出しました。もちろん、それはー夜にして生まれたものではありません。しかしそれは、<万人>が物質的により恵まれ、よりいいものを食べ、より快適に、より健康になれる現実的な可能性をもたらしたのです。それは新しい時代の希望でした。

しかし、問題がひとつありました。産業革命期の機械は、原始的なものでした。

(中略)

産業革命の出現はしかし、社会に深刻な問題を投げかけました。機械のー部として働きたいと思う人は、ほんとうのところ、誰もいなかったのです。誰もがみんな、花開く産業経済の恩恵に預かることができるよう、どうやったら数百万の人びとに自らすすんで機械のー部になってもらえるのか?

  解決策は、<教授>の領域に横たわっていました。
<教育>が、子どもたちのコントロールのため、動員されねばならなかったのです。一握りの特権層の子どもではなく、平民の子どもたちを大量に教育し、コントロールしなければならなかった。

産業革命以前の時期に、子どもが成長するのに必要とされたスキルとはまったく無緑の、行動様式や初歩的技能を教え込むために、<教育>が動員されたのです。

そうした新しい技能の中心には、まったくもって不自然なものが据えられました。自動人間としての機能になりきることができるスキルがそれです。土台、無理な注文なのに、それをやろうとしたのです。

これをやりきるには、ふたつのことをしなければなりません。

ひとつは、子どもたちの自由な精神を破壊することです。
一箇所にじっと座っていたい、並んでいたい、言われた通りのことをいつもしていたいと、思い込ませなければなりません。駆けっこをするなど、もう許されません。もはや自由はないのです。したいことをしてはならない。好奇心の導くままに学ぶなんて、許されない。ただただ、厳しい規律を受け容れていればいい。誰もが同じことを、いつも必ずしている。適応しなければ、罰せられるのです。

 ふたつ目は、子どもたちにある特殊なスキルを教え込むことです。その特殊なスキルは、「三つのR(基礎学力、読み・書き・算数)」と呼ばれるようになりました。
 子どもたちには、読むことを教え込まねばなりません。指示を読めるようにならなければならないからです。

 書くことも教え込まねばなりません。文書づくりができるようにならないと、いけないからです。

 算数も教え込まねばなりません。重さとか長さとかに慣れさせるためです。そうすれば、産業経済が求める標準的な帳簿付けができるようになる。

つまり「三つのR」とは、三つの産業スキルであるわけです。そしてそれは、<教授カリキュラム> の核心を形成するものになりました。

 それは産業革命以前の人間の生存、あるいは人生とは無緑のものです。その昔、誰が数学を必要としたのでしょう? 読み書きを、誰が必要としたか?

 歴史を振り返ると、ほとんどの人が読み書きできませんでした。王や将軍さえもそうでした。一握りの専門家がいて、他の人びとのために、読み書きをしてあげていたのです。

(後略)


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