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セルフ塾は閉めましたが、そのままの名前でブログを続けます。独学,独習。教わるより,学ぶを重視。 セルフラーニングの方法,英語,数学などの情報を発信するつもりです。

もう『知らない』という状態には戻れないのたなぁ
入れたり出したり (角川文庫)

 前回は,酒井順子さんの「入れたり出したり」を紹介しました。
 次の部分については,教育的な立場からそこだけでまたひとつ書きたいです。


 が、ふと寂しくなることもあるものです。それは、
「ああ、もう『知らない』という状態には戻れないのたなぁ」
と思った時。

たとえば今の私は、カラスミの味を知っています。カラスミを初めて食べたのは、社会人になりたての頃、銀座の飲み屋さんに上司に連れていってもらった時のこと。大根に挟んであるオレンジ色のカラスミがあまりにもおいしくて、
「こんなにおいじいものがあるんですね~っー」
と、私は大感激した。

 今でもカラスミを食べる時は、”おいしいなぁ”と思うわけですが、それは初めて食べた時のあの感動には、明らかに劣る。既にお馴染みの味となったカラスミをかじりつつ、”カラスミの味を知らない時代には、もう戻ることかできないのだ”と思うと、寂しくなるのです。

 何かを「知らない」という状態から「知っている」という状態になるのは、その何かか身近な問題であるかぎりは、ある程度の努力をすれば可能です。が、「知っている」という状態から「知らない」という状態に戻すのは、痴呆にでもならない限り、ほぼ不可能。

 一度セックスをしてしまった人は、たとえ処女膜再生手術を受けても処女ではないし、昔野球をやっていた人は、たとえニ十年間のブランクがあっても、再びバットを握れば昔と同じようなフォームで素振りをしてしまう。

 私達は苦に憶えたことを忘れることもできるし、世の中には「白紙に戻す」という言い方もあるけれど、忘却によって得られる白紙は、鉛筆で書いた文字を消しゴムで消して白くした、という感じなのです。過去に読んだことがある本を、忘れてもう一度読んでいて、”ハテ、何かこの読み心地、以前にもー度味わっているようなないような・・・・”と思うように。

 そして私は、「知らない」という状態がいかに貴重なものであったかを、しみじみと思い知るのでした。知っているべきことはほとんど知らず、知らないでいいことばかり、たっくさん知ってしまったような気がする今。



 まだ,しばらく続きますが引用はここまで。そうだよなあ,と思います。

 著者のいいたいことからはずれるかもしれませんが,
 教育をするものにとってはこのことは理解していた方がいいと思うのです。

 ぼくら教育者は知っていることを,それを知らない人に教えるのですね。

 ぼくらは知っている。しかし彼らは知らない。
 知らない人の身になることができないのです。どんなに努力しても。

 「隠し絵」というのがありますね。例えば,ごちゃごちゃした絵に何か動物が隠れている。何が隠れているのかをさがす。

 最初は見えないのですが,そのうちに見える瞬間があります。そして,その後は見えなくならないのです。見えない状態にならない。後戻りはできません。

 だから,別の人がさがしてあっちこっち見ているのがおかしくてしようがない。
 なぜ,見えないのだろうと思う。ついさっきまでは自分も同じだったのに。

 数学でもそうです。図形の問題がある。慣れていると,何を見たらいいのか着眼点がすぐに目に入ってきます。向こうの方から飛び込んできます。

 しかし,できない人はとんどもないところを見ている。

 そこで,ぼくらは「なぜ,分からないんだ」と怒鳴ってしまうのですね。

 知らない,分からない,ということが理解できない。

 でも,それでは教育はできないのです。できない人の立場に立つことができなければ。
 知っているけど,できるだけ知らない人の気持ちも理解しながら,教えるというところまで自分をもってこなければいけないのですね。なかなか難しいです。 
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